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親日ミャンマーの鉄道事業は日本に決まった!・・・新潟トランシス,電気式気動車24両を受注


ミャンマーの鉄道事業は
これで日本に決まったようなもの。



デザイン案


 新潟トランシス(NTS)は9日、ミャンマー国鉄の2大都市ヤンゴンマンダレーを結ぶ幹線鉄道向けに電気式気動車24両を納入する契約を結んだと発表した。


受注額は70億円。丸紅が商務全般を担い、NTSが車両の設計、製造、教育訓練などを担当する。


日本政府が円借款450億円の供与を決めているヤンゴンマンダレー鉄道整備事業の第1期として、既存路線の老朽化した設備を改修、近代化する事業パッケージの一つ。


納入する気動車ヤンゴンからマンダレーへ向かう中間地点のバゴー管区タウングーまでの267キロを走ることになる。同区間の所要時間を現在の7時間から3時間20分に短縮できるという。




新潟トランシスは、ディーゼル車両の国内トップメーカーとして、鉄道車両を中心に、国内外の新交通システム、低床式路面電車、各種除雪車の製造などの実績を持つ。



ミャンマーの鉄道事業計画



一方、最大都市ヤンゴンには市内をぐるっと一周する環状線がある。それを近代化するために日本の政府開発援(ODA)により改修も進めている。


その環状線は、新型車両の導入でスピードアップを図り、踏切は日本型の安全な遮断式とし、プラットホームは昇降し易いよう高さを列車に合わせ嵩上げする。信号システムも日本式に改良する。



一番重要な事だが、駅、踏切以外の線路内に人を入れないようフェンス等で遮断するようだ。現状、線路上を我が物顔のように闊歩しているのが当たり前の様になっており、危険極まりない。


これを機会に、ミャンマー国民の安全に対する意識も変わって貰わねば、鉄道インフラの進展は望めないだろう。


結果としてミャンマーの鉄道整備は現在、日本がリーダーシップを執っているのは間違いないようだ。

















ミャンマーに【じぇじぇじぇ】のあまちゃん・・・ミャンマーの鉄道整備は日本におまかせ。


あまちゃん列車」ミャンマーの大地を走る


定刻発着に「 じぇじぇじぇ 」で大好評
三陸鉄道あまちゃん列車」 車両の色は違うが、形状は同じ

ミャンマーヤンゴン市の東側に位置するパズンダン駅。一番端のホームに入線していた1両のディーゼル車が、15時ちょうど、定刻通りに出発した。


赤と白のツートンの車体が、線路の両脇から覆いかぶさるように生えている緑の木々の間をすり抜けていく。


実はこの列車、少し前までは日本の三陸海岸を走っていた。そう、2013年に日本で大ブームを巻き起こしたNHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」で一躍脚光を浴びた、あの三陸鉄道の車両だ。


老朽化のため日本での役目を終え、ここミャンマーに有償譲渡された。ドラマに登場した青色ベースの車体とは色が異なるが、形は間違いなく、あの三陸鉄道の車両そのものだ。



地元住民の生活路線として、すっかり定着している

車内から手を伸ばせば届きそうなほど、線路のすぐそばまで家屋や食堂が接近している地区を通り過ぎ、市街地の南側を流れるヤンゴン川に面したストランド通りに出た途端、行く手がパッと開けて車内が明るくなった。


1908年に貿易会社のオフィスとして建てられたという赤レンガ造りの中央郵便局やクリーム色のストランドホテル、かわいい三角屋根の見晴らし塔がシンボルの港湾局など、英領植民地時代の面影を色濃く残す建物が沿道に並んでいる。


それらを眺めながら走っていると、雨期特有の厚く垂れこめた雲からぽつりぽつりと水滴が落ちて来た。そうと思ったのもつかの間、雨はすぐにバケツをひっくり返したように音を立てて地面をたたき始める。大通りが雨に煙ると、ノスタルジックな雰囲気を一段と醸し出し始めた。


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あまちゃんミャンマー語版がテレビで放映された


2014年12月の運行開始と前後して、現地でも一般家庭向けにミャンマー語吹き替え版「あまちゃん」の無料放映を開始した。


ヒロインのアキと親友のユイが結成したアイドルユニット「潮騒のメモリーズ」がどれだけミャンマー人の間に根付いたかは不明。


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車掌はなんと警察官

実は警察官。警察に入って23年目というベテラン警官だ。名前はゾーテー。今年でちょうど40歳だという。

なぜ車掌が警官をしているかは不明だが、テキパキと車掌業務をこなしている。「15年前、6カ月の研修を受けて鉄道警察に移ったんだ」と、制服の肩に縫い付けられた鉄道警察のエンブレムを誇らしげに見せるのだった。


日本の車両は揺れない、安全との評判


日本の中古車両が続々とミャンマーに運ばれる


廃線や電化などによって日本で使われなくなった後に海を渡り、ミャンマーを走るようになったディーゼル車の数は、これまでに200両を優に超えるという。


市内を走るバスも、「○○市営バス」といった日本語を車体に残したまま走っているものが目につく。


これは、単に中古の方が安いという価格面のメリットだけではなく、日本の車両やバスは中古であっても非常に質が高く、エアコンなど設備の面でもレベルが高いことが要因となっている。





ミャンマーの鉄道整備を担う日本

 日本はこのほかにも、現在、ヤンゴンマンダレー間約620kmを結ぶ幹線鉄道の計画も受けている。




更には、ヤンゴン市内をぐるっと一周する環状線を近代化するために政府開発援助(ODA)によって改修を進めている。


その環状線は、新型車両の導入でスピードアップを図り、踏切は日本型の安全な遮断式とし、プラットホームは昇降し易いよう高さを列車に合わせ嵩上げする。信号システムも日本式に改良する。



一番重要な事だが、駅、踏切以外の線路内に人を入れないようフェンス等で遮断するようだ。現在は、線路上を我が物顔のように闊歩しているのが当たり前になっており、危険極まりない。


このようにミャンマーの鉄道整備は現在、日本がリーダーシップを執っているのは間違いないようだ。




インドネシアの二の舞にならないように


世界ではますます熾烈さを増しつつある国を挙げての競争時代、「やっぱり日本製はいいなあ。」という乗客の笑顔に油断していては足をすくわれかねない。


ミャンマーでの取り組みがインドネシアの二の舞にならずに、日本が戦略的な支援をきちんと展開していけるのか、まだまだ気が抜けない昨今だ。










台湾と山形県は仲良しこよし・・・台湾と日本はもう合体しよう!


台湾/高雄市山形県
チャーター便実現に向け意見一致
2018/05/28

左から山形県吉村美栄子知事と高雄市の許立明代理市長





山形県吉村美栄子知事が28日、高雄市政府を訪問し、許立明代理市長と面会しました。


吉村知事は県内のデパートに高雄の農産物を販売するスペースを設置することに意欲を示しました。


そして、両者は定期直行便の就航推進でも合意し、さらなる交流進展に期待を寄せました。 

高雄市山形県は2016年5月に友好協力に関する覚書を締結しています。観光や教育、経済、文化などの交流を進めてきた実績を持っています。


吉村知事を団長とする訪問団は26日、両県市が共同で推進したチャーター便の初便を利用し、高雄に到着。


吉村知事は今年1月に高雄を訪問した際、チャーター便の実現に強い意欲を見せました。


吉村知事は27日には高雄市さくらんぼや総称山形牛、つや姫などの県産品をトップセールスしています。







28~29日には台北市宜蘭県台中市を訪れた。             by 台湾国営通信社




この様に近年、台湾と日本の各公機関、組織団体、企業が盛んに提携したり交流を深めています。


もっともっと仲良くし、かつての日本統治時代に帰ったような台湾ドリームを復元できたらと思います。若い世代に期待したいですね。


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ここで、台湾と日本の関係を少し説明したいのですが、若い世代は知らない人が多いでしょうね。ご存知の方はパスしてください。


台湾はかつて日本でした。


台湾は、日清戦争の結果下関条約によって台湾が清朝(当時の中国)から日本に割譲されました。それは1895年明治28年)のことでした。



そして第二次世界大戦で日本が敗戦し、ポツダム宣言によって台湾が日本から中華民国編入されたのが1945年(昭和20年)でした。


その間(50年間)、日本は台湾人を日本人と同様に扱って来ました。(人権を重んじた。)詳細はさて置き、台湾は世界一と言っていい位、親日です。


どっかの二国の隣国とは違います。


日々のニュース、ネットの情報を見ても台湾が日本を批判している場面はまず見当たりません。逆に今でも日本人に戻りたいと言っている人もたくさんいます。そういうニュースを見ると私は心が痛み涙ぐむ時があります・・・


戦争は良くないことですが、結果、日本をこんなに慕ってくれている台湾がすぐ隣にあるのです。日本人は心から感謝をしなければいけないと思っています。


今からでも遅くありません。台湾と日本の歴史を知らない若い人達にも、次の動画を見てもらってそれを切っ掛けとし、もっともっと台湾を知っていって貰いたいと思います。


日本が人権を重要視していた証明となる動画

人種差別の撤廃を国際会議で初めて訴えたのは日本だった


台湾生まれの日本人女性・・・人生を素敵に変えた76年ぶり究極の涙の再会


幼なじみは元気だった。

76年ぶりでも一目で認識できた。

岡山戸政事務所提供



日本統治時代に台湾で生まれた“湾生”の女性(88歳)が22日、かつて12年間暮らした南部・高雄市で、76年ぶりに当時の同級生と再会した。すでに白髪となった2人は肩を抱き合って感涙し、互いの手を取ってうれしそうに昔話に興じた。 



同級生探しに協力した高雄市岡山戸政事務所(戸籍業務を担当する役所)の職員によると、女性は福岡県在住で、親族とともにルーツ探しのために訪台し、15日に同事務所を訪れた。当時の資料が見つかり、出生証明を手にすることができた女性。亡くなった父親がいつも岡山の街並みを懐かしんでいたと語り、当時住んでいた場所を再訪したいという願いを同職員に伝えた。 



手掛かりは女性が所持していた手描きの地図。同職員はタクシーを手配し、地図を手掛かりに、一家が居住していたと思われる岡山旧駅跡地付近を案内。また、女性の同級生の消息を求め、かつて街の中心として栄えた岡山老街にも足を運んだ。 

高雄市 岡山駅
台湾には日本と同じ駅名が32あるという。
日本統治時代のなごりです。

女性が記憶を頼りに、同級生の実家とみられる古い診療所を探し出したその瞬間、扉を開けて出てきたのが、探していた本人だった。事前に連絡していないにも関わらず、2人は一目でお互いを認識したという。 



同職員によると、現在の岡山老街はすっかり様変わりしており、当時の面影は見られない。それでも女性は、今回の旅で得たサプライズと感動をとても喜んでいたという。 


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日本には台湾で生まれた湾生がたくさんいます。戦前、台湾は日本統治下でしたが、敗戦で家族と共に日本へ帰ってこざるを得ませんでした。


2015年10月に台湾で公開された「湾生回家」という映画が大ヒットしました。題名の意味は「台湾を懐かしむ」という意味ですが、こういった湾生が台湾を訪れた際の記録を映画化したものです。





そういった台湾へ私も一度、言ってみたいと思っています。





台湾の観光路線「平渓線」に最近、日本女性が集まってきてる。


そこで「平成筑豊鉄道」は考えた。台湾からも観光に来てもらおう。

姉妹鉄道の協定について発表する河合社長(左)





台湾側の発表

台湾鉄道の平渓線、平成筑豊鉄道と姉妹協定



台湾鉄路管理局(台鉄)平渓線と平成筑豊鉄道(福岡県福智町)は2018年5月19日、姉妹鉄道協定を締結した。 




新北市東部の山あいを走る平渓線は、日本統治時代1921年(大正10)に石炭輸送の専用路線として開業。


左にみえる建物はかつての炭鉱施設

平渓線の車両は、1999年に登場した日本車両製です。


沿線には毎年旧正月明けに行われる「天灯フェスティバル」の会場があり、現在では国内外から年間600万人が訪れる。


線路に入って大丈夫なんでしょうか。


台鉄は、同じく石炭輸送を目的に建設された平成筑豊鉄道とは歴史的な共通点があるとし、交流の活発化に期待を寄せている。 

台鉄平渓線はこれまでにも、江ノ島電鉄(神奈川県藤沢市)、由利高原鉄道秋田県由利本荘市鳥海山ろく線と同様の協定を結んでいる。 台北 中央社




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日本側の発表


平成筑豊鉄道、台湾の路線と姉妹鉄道に




第3セクター・平成筑豊鉄道(福岡県福智町)は2017年12月28日、台湾鉄路管理局のローカル路線「平渓へいけい線」と姉妹鉄道の協定を結ぶと発表した。




2018年5月をめどに協定を締結し、台湾からの利用客が増えることを期待している。


 平渓線は台湾北部の新北市の渓谷沿いを走る12・9キロ。同管理局が運行し、観光客の利用が多い。


 平成筑豊鉄道によると、沿線に田川市石炭・歴史博物館と交流している博物館があり、平渓線が同鉄道と同様に石炭を輸送する路線として開業した経緯から、同管理局と協定を結ぶことになった。




互いの沿線で観光をPRするなど、相互の利用者増につながる取り組みを検討するという。

田川市石炭・歴史博物館

そのころの炭鉱は女性も上半身裸で坑内の重労働に従事していました



 田川市役所で記者会見した河合賢一社長は「福岡市を訪れる台湾からの多くの旅行客を沿線地域に呼び込み、平成筑豊鉄道に乗ってもらえるようにしたい」と話した。 (読売 西部)












マレーシアの親日マハティール首相 【 消費税廃止! 】 日本も廃止してほしいな。


マレーシアは6月1日付で消費税の廃止を決定した。それは、マハティール政権の選挙公約でもあった。




日本もあやかりたいもんですね。

マレーシア政府は16日、消費税に相当する物品・サービス税(GST)の税率を6%から6月1日付でゼロ%にすると発表した。


政権交代を実現させたマハティール首相の選挙公約通り、消費税を廃止すると、財務省が電子メールで声明を配布した。


全ての企業が対象となるという。


消費税制度は2015年にナジブ前政権が導入し、国民の不満の対象となっていた。


 マハティール氏は16日、首都クアラルンプール近郊で記者会見し、4月に施行されたフェイクニュース対策法など


「報道や表現の自由を抑える法律を廃止する」と説明。令状なしの拘束や家宅捜索を認める国家安全保障会議法なども廃止する。と発表している。


すごい指導力です。


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マハティール首相ってどんな人?



マハティール・ビン・モハマド(Mahathir bin Mohamad、1925年7月10日/12月20日 - )は、マレーシアの政治家、医師。現在、同国首相。同国首相の中では最長の22年間(第4代:1981 - 2003、第7代:2018 - )を務めている。

開業医から政治家に転じ、欧米諸国ではなく、日本の経済成長を見習おうというルックイースト政策をはじめ、長期に及ぶ強力なリーダーシップにより、マレーシアの国力を飛躍的に増大させた。       wikipediaより



またマハティール首相は、超親日派先の大東亜戦争後、独立できたことに対し、次のように日本を評価しています。

「もし日本なかりせば、世界は全く違っていたでしょう。
富める北側(ヨーロッパ)はますます富み、
貧しい南側(東南アジア)はますます貧しくなっていたと
言っても過言ではない。
北側のヨーロッパは、英園に世界を支配しただろう。
マレーシアのような国は、ゴムを育てて、スズを掘り、
それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けたでしょう」


高速鉄道計画の入札もあります。従来のまでの計画も破棄すると言っていますので、日本受注のチャンスが巡ってくるかも知れません。期待したいですね。


これから眼を離せないマレーシアです。



過去記事
マレーシア・・・独立までの歴史
マレーシア・・・マレー戦線
マレーの快傑ハリマオ・・・谷 豊










マレーシア大変革の予兆 高速鉄道も見直しへ

高速鉄道 見直しへ
日本受注の可能性が出てきました





2018年5月9日投開票のマレーシア連邦議会下院選挙で勝利したマハティール元首相は10日、国王の任命を受けて第7代首相に就任しました。



マレーシア政府は12日、ナジブ前首相とロスマ夫人を出国禁止とした。国外に移るそぶりを見せていたナジブ氏の逃亡を阻止し、政府系ファンドの資金流用疑惑などの責任を追及する狙いがある。



マレーシアのマハティール首相は12日の記者会見で、同国とシンガポールを結ぶマレー半島高速鉄道計画などを含む外資による事業を見直す方針を示しました。

さあ、これからどのように進展して行くでしょうか?


高速鉄道計画の概要 過去記事









フィリピンの日米決戦の陰で、親米ゲリラと親日ゲリラとの悲しい闘いがあった。



引き裂かれたフィリピン・太平洋戦争





いつも批判されるNHKですが、これはどちらかと言えば、まともに見れる方だと思いますが、皆さんどう思われるでしょうか。







私の心のなかでずっと吹っ切れずにいた事がこの動画で少し晴れました。大本営のやり方は下手くそでしたねえ。山下大将が「止めておけ」と進言したのに・・・失敗でしたね。


 

 

フィリピン民衆に迷惑をかけたことは否めない事実と思います。しかし、アメリカも共産党グループに武器を渡してゲリラを組織した。これが民衆を二分した大きな原因であると思うのですが。





戦前のアメリカの統治は、日本の台湾の統治の方がどれだけ良かったかこの動画でもよく分かります。

 

 

アメリカはフィリピンを植民地としか考えていなかったのでしょう。アジア人は所詮、有色人種で白人より劣る。この視点は日本人に対しても同じでした。

 

 

大航海時代からの遺伝子は変わっていないのでしょう。

 

 

結果、戦後もフィリピン人同士の葛藤(ゲリラ)が尾を引いていることに対し、私は悲しく思い心が痛みます。やはり戦争そのものは嫌ですね。

 

 

ところで動画内で、中野 聡さん(一橋大教授)が仰っている事は、ずばり的を得ていると思います。特にアメリカが「地主」を利用した点ですね。それが貧困農民の反発を生みました。その貧困農民グループが日本軍の方に付いたのです。

 

 

まあ、植民地時代、ヨーロッパの国々も華僑を使ったりしてよく似た事をしています。


 

 

 

 

 

 

 



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