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不眠症には「ラジオ深夜便」がいい・・・NHKなんです


眠れない夜は・・・ラジオ深夜便・・・NHKなんです
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放送開始年は、1990年4月からで、もうかれこれ27年続いている番組です。


ラジオ深夜便」は、365日休まず、およそ6時間、生放送で放送しています。


おとなの番組です。心がホットします。文句なし!



テーマ音楽がいいんですよ(1時台から4時台まであります)





簡単な番組の説明の説明をしておきますね。










その中でも
萩本欽一の人間塾・・・私が大好きなコーナーです。「欽ちゃん」が毎回ゲストとともに人生の楽しみを語り合う公開収録番組です。一度は聞いてくださいよ。


海外レポートのコーナー

 世界各地にいる日本人にその国の出来事、生活習慣、気候風土などの情報が聞けます。私はまだ外国旅行が経験がありませんから行った時の気分で興味深く拝聴しています。そこに住んでいる日本人がレポートしていますから本当の事ばかりです。もし生きてる間に行くチャンスがあればその時のために心の準備もできますしね。


まとめ 眠れない時って、つまらない人間関係の事や身体の悩み、将来に対する不安、家族への心配など数えれば切がありません。それが原因で不眠症なっている人も多いと思います。私も若い頃は心の修行が出来ておらず頭の中で無駄な時間を多く費やしました。


この番組に出会ってからは同じ心境、同じ境遇の人が大勢いることがわかりちょっと賢くなりました。悩みごとの解決のヒントも得られる時もあります。ですから不眠症の人は薬だけに頼らずこういう番組を通して、知らぬ間に寝ている自分を経験をしてみてください。


 おそらくラジオを聞いている人が大勢いるので、またラジオの中で人の声が聞こえるので心理的に安堵感が湧くのではないかと思います。そして今自分は孤独ではないということを無意識に実感しているのかも知れません。それが眠りに誘ってくれるのではないかと思います。(心理学者でないので本当の事はわかりませんが)


 
 私は不眠症ではありません。ですので薬は飲んでおりません。薬は「ラジオ深夜便」です。
 
 







無縁社会 ③






無縁社会孤独死、そしてこれからの歩み方


 今、人間の最後の迎え方について日本社会では孤独死が取り上げられています。
その中で、名前もわからない故人を「行旅死亡人」(こうりょしぼうにん)と呼ばれています。身元も何もわからない状態なので無縁仏になり埋葬されます。


参考)孤独死の後処理をするプロ達


これからの日本、超高齢化社会のピークへ向けて「見守り」などの取り組みが行われておりますが「見守り活動」をしても皆無にはならないことは否めないと思います。




なぜならば、孤独死集団での活動を嫌い自分らしくあるための個性が強い方やどうしても訳のある方が結果的に選択せざるを得ない方法でもあると思います。




新しい歩み方

 でも、自分はどうしても孤独死はしたくない。周囲に迷惑を掛けたくないという人は、「献体」と言う方法があります。医学部のある大きな病院などが設けているシステムなんですが、それに登録すれば死後の処理はきちんと病院がやってくれるし、法要もやってくれます。

 この制度は昔からあったのですが、家族の反対が多く献体がなかなか集まりせんでした
。しかし今の日本のような看取ってくれる人が周囲にいない人が増えてくると登録する人が増え始めてきたのです。時代が確かに変わったということです。せめて医学の研究・発展ために身を捧げようと言うのです。孤独死しそうになったら私もそうしたいと思います。

詳しく知りたい人はこちら


遠くで暮らす娘の家族には負担をかけたくない

参考)遺骨を受け取る人がいない場合
   身寄りがなく、遺骨を受け取ってくれる人がいない場合は、基本的には遺骨は大学
   が用意した納骨堂などに合祀されます。さらに毎年慰霊祭の形で供養も行ってくれ
   れます。費用は一切掛かりません。



 ところで、ちょっと大げさな話になりますが・・・
人類は生きるためにまず食べ物を求めそれから生活の向上を掲げて領地を広げ、物質の豊かさを追及してきました。そしてそのたびに紛争や戦争を繰り返し殺戮を行うという法則のようなものが出来上がりました。


文明の歴史が長い欧米といえども、争いを繰り返し中世以降の大航海時代には外地を侵略し弱い民族を搾取して奴隷制度までつくり上げてしまいました。それもまた物質の豊かさを追及するためのものでした。



しかし近年、第二次大戦後国連に人権を尊重する気運が芽生えてきました。国連が主になって行動しています。これは長い人類の歴史の中では大きな変化です。精神文化の向上とでも言いましょうか人類の進歩です。そして民主主義国家が主流になりました。



 人類の歴史の中であまり尊重されて来なかった精神文化。敗戦日本の場合、まずは経済成長し物質文化は一応手に入れました。しかしその間置き去りにされて来たのが精神文化です。


と言っても戦前の習慣やしきたりがすべて良いとは言いませんが。並行して精神文化を発展させることを忘れていたのです。途中公害も発生しましたが。



 このように偏った歩み方をした結果、孤独死のような悲しい出来事が発生し出したのだと思います。これからでも遅くはないはずです。日本なら日本人ならやれると思います。



これからの日本の本当の目標は、昔の良い点を取り戻し未来に向かっての精神文化の熟成だと思いますがみなさんどのようにお考えにになるでしょうか。



 「人」と言う漢字は、「ノ」が二つ寄り掛かって出来ています。お分かりの通り人は独りでは生きて行けないことを先人が教えてくれているように思います。



文明の進んだ現代においても最低限の人間関係や最低限の社会システムとの接点を維持しておかなければ穏やかに死んで逝けないように思います。



精神文化と言う表現は抽象的ですが、簡単に言えば「思いやり、気配り」でしょうかね。














無縁社会 ②




無縁社会」の明るい走り方・・・本当の喜びとは何か?

 現代日本は「無縁社会」であるという。とりわけ東京などの都会では、地縁、血縁、社縁(職場縁)といった人間どうしの絆が希薄化し、多くの人が平生誰とも関わり合わずに生きている。そのため、誰にも看取られずに孤独な死を迎える人も少なくない。それは実に悲しいことではないでしょうか。


 最近の都会人は子供や配偶者に恵まれたとしても、子が独立し配偶者に先立たれれば、話し相手もないままたった1人の晩年を過ごすことになりかねない。独居者が自室で亡くなり、そのまま何日も気づかれなかったという話はいまや珍しいものではなくなりました。



そもそも「無縁」とは何だろう。

 また仏教の話で申し訳ありません。仏教において重んじられるのが「縁」であります。人間関係の縁だけではなく、物や物事の生じる原因や条件を指して縁というらしいです。

 人が救われるには縁が大切であり、それゆえ「縁なき衆生は度し難し」との言葉もあります。つまり、仏縁のない者は仏でも救うことはできないという意味です。私たち日本人は、このような仏教の教えのもとに、縁を重視する人生観、世界観を育んできました。当然、「無縁」は好ましいことではないとされています。



有縁社会=村社会が理想郷なのか?

単純に「有縁社会」へ回帰すればいいのだろうか。それ以前に、私たちは本当に無縁社会を忌み嫌っているのかということも検証しなければならない。


 まずいえることは、伝統的な有縁社会=村社会も理想郷ではないということだ。村社会の基本原理は、家どうしが冠婚葬祭などで互いに助け合う互酬性だ。互酬性が確立されれば、その場で決済することがないため人間関係は長期に及ぶ。一方、その関係性から逃れることができないという意味では、個人を拘束する。際限のない互酬性の罠から逃れるには、いったん村の外へ出なければならない。


 そのため、高度成長期には多くの若者が自由=無縁化を求めて、東京など大都会の職場や学校を目指したのだ。


 だが、自由である半面、帰属先のない不安定な都会生活には、必ずしも幸福な暮らしが待ち受けているわけではなかった。当時流行した演歌やフォークソングには、そうした都会生活における挫折や望郷の念を歌ったものが多かった。


 いまの流行歌は、演歌やフォークソングではなく新種の流行歌が幅を利かせている。金の卵世代や団塊の世代にはこれは理解できない。まいった。(@_@)目が回るっ隊っ!


 なぜ演歌やフォークソングが流行しなくなったのか?無縁化を求めて都会へやってきた人々の多くがそのまま都会に定着し、都会への不適応や郷愁の気持ちを、かつてのようには感じなくなっているからではないか。


 しかし、彼らの心の底には、いまもなお「都会で失敗した者を慰める歌」を求める気持ちが残っている。『無縁社会』が受け入れられたのは、そうした心情をうまくすくい上げた新種の流行歌が支えているからではないだろうか。




むしろ有縁化の方に向かっている現象が見られるようになった

 現在、職を求めて上京した人たちの多くは家庭をつくり「都会の人」になっている。全国的に少子化が進んだこともあり、次の世代は都会を離れようとしないし、地方から東京へ出てくる流れもかつてほどではなくなった。


 職を求めて上京してきた人の「次の世代は都会を離れようとしない」と述べた。周囲を見ても、都会に定住する傾向は年ごとに強まっているというのが実感だ。同じ東京の中でも、慣れ親しんだ地域に住み続けたいという人が増えている。


 その結果、村社会のように強固な形ではないにしろ、都会でも地域の縁が深まりつつある。現に首都圏の住宅地では、住民が主催する祭りが年を追うごとに盛んになっている。

 例えば、
 ☆ 日比谷公園丸の内音頭大盆踊り大会


 ☆ すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り
 ☆ みなとみらい大盆踊り​
 ☆ 寅さんまつり
 ☆ 六本木ヒルズ盆踊り
 ☆ 東京丸の内盆踊り
 ☆ 増上寺 盆踊り
 ☆ 巣鴨納涼盆踊り大会

 それから、なぜか首都圏で流行る阿波踊り
諸説ありますが、町おこしのための夏のイベントを探していて、広い会場や豪華な設備を必要としない阿波踊りに白羽の矢が立ったのだとか。その代表が60年以上前に始まった「東京高円寺阿波踊り」です。その後、東京周辺で阿波踊りが広がっていき、高円寺のような大きな会場から地元商店街主催の小規模なものまで、あちこちで阿波踊りが開催されるようになりました。



☆  高円寺&南越谷阿波踊り 

☆  神楽坂阿波踊り
☆  糀谷阿波おどり
☆  三鷹阿波おどり 


「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿保なら踊らにゃ損々!」 見るだけでなく「踊らにゃ損々」 都会は伝統的な村社会と比べたら「無縁社会」には違いない。だが、そこからさらに無縁化が進んでいるのではなく、実態としてはむしろ有縁化のほうへ向かっているのでないでしょうか?








無縁社会 ①


 無縁社会とは、単身世帯が増え、人と人との関係が希薄となりつつある日本の社会の一面を言いあらわしたもの。NHKにより2010年に制作・放送されたテレビ番組による造語です。2010年の「ユーキャン新語・流行語大賞」(現代用語の基礎知識選)のトップテンにも選ばれました。





 このような社会状況は、日本に限らず先進国のどこでも見られる現象であるらしいのです。

 私自身も常日頃、悩んでいる問題であり解決しなければならない人生の大きなテーマです。我が親族にも同様な事象があり憂鬱な日々を送っております。

 
 日本は旧来、親族、地域社会、会社などで比較的濃密な人間関係が形成されてきました。こうした関係は血縁、地縁、社縁などと呼ばれて、「しがらみ」となる一方で「相互扶助のシステム」としても機能していました。難しい言葉で言うと、家どうしが冠婚葬祭などで互いに助け合う事を互酬性(ごしゅうせい)と言うらしいです。



ところが近年、こうしたつながりが急速に失われ、社会から孤立している人が増えていると言われます。背景には、核家族化・非婚化・長寿化による単身世帯の増加や雇用形態やライフスタイルの変化などがあるとされて、家族がいても音信不通になっていたり、地域との交流がなかったりして、病気などの緊急時にSOSを発することができない人も多いことが明らかになってきました。


 この様に家族や企業に期待されてきた支え合いの機能が失われてきており、新たな社会的な絆をどのように育んでいくかが課題とされています。




 このテーマは奥が深いので何回かに分けてお送りしたいと思います。

















メチルアルコールは飲むなよ




 私は戦後ちょっとして生まれました。もの心ついた頃、安サラリーマンの父がテレビを買ってきてニュースをよく見ていました。今でも記憶に残っているのですが、戦後お酒もろくに無い時代に質の悪い工業用アルコールを飲んで失明する人が続出した。というニュースが流れていたのを今でも覚えています。やっと見つけたお酒も購入しようとしても高価で庶民の手にはとても入らなかったのですね。


ここでアルコールの基本です。

*** 昔懐かしいアルコールランプの燃料はメチルアルコール(略してメタノール)工業用のアルコールです。猛毒です。失明します。
*** お酒はエタノールです。


無知なのん兵衛が学校の理科の実験室に忍び込んでアルコールランプの液を飲むケースもあったと聞きます。昭和30年前後だったと思いますね。昔懐かしいアルコールランプの燃料はメタノール

そこでそのアルコールについて調べて見ました。
エタノール(お酒)は体内で代謝されることによって、アセトアルデヒド→酢酸へと
変化していきますが、

同様に工業用メタノールは体内でホルムアルデヒド→蟻酸へ変化します。
この時生成されるホルムアルデヒド・蟻酸は人体にとっては猛毒となりますので、工業用メタノールを誤飲すると最悪死亡することもあるわけです。
死ななかったとしても、失明する可能性は極めて高いのですが、その理由としてアルコール脱水酵素(工業用メタノールホルムアルデヒドにする)が肝臓に次いで眼球の網膜に多く存在することが原因です。
では何故、眼球にアルコール脱水酵素が多いのか?


視覚のメカニズムについても説明します。
網膜では外界からの光を感知し、それを脳に伝えて映像化するための処理が行われていますが、この処理は全て化学反応で成り立っています。

その反応は緑黄色野菜の栄養素として有名なβ-カロテン、これを真中から真っ二つにすると2つの「レチノール」というアルコールになります。

網膜ではこのレチノールをアルコール脱水酵素が脱水して「レチナール」というアルデヒドに変え、このアルデヒドを変形させたものを視細胞内で光と反応させることで「光を感知」しています。

つまり光を感知するためには「レチノール」→「レチナール=アルデヒド」というアルコールをアルデヒドに変化させる反応酵素が必要不可欠なわけです。

当然、工業用メタノールも体内では脱水酵素が多く存在する眼球でホルムアルデヒドに変化し、その際に視細胞が破壊されてしまうので失明するという事になります。



工業用メタノールを誤飲した場合は「エタノール(酒)を飲ませると、失明の危険性が低下」します。ややこし・・・
体内の代謝優先度は、エタノール(酒)>>メタノールなので、エタノール(酒)を分解している間に、メタノールは分解されず肺から呼吸で外に放出されます。
もっとも、全く分解されないわけではないですが。急性アルコール中毒の可能性が高まることから、病院に直行は避けられませんが。


と言うことで、ちょっとややこしいですがご理解いただけましたでしょうか?ゆっくり理解してくださーい。


余談 )
1 最近のニュースで(2014年03月辺り)ロシア東シベリア・ザバイカル地方の村で、住民らが酒を飲んだ後に次々と倒れ16日までに14人が死亡、12人が重症となった。酒に劇物の工業用メタノールが混入、中毒が原因とみられる。 MSN産経ニュース

2 昨年10月に起きたインドの密造酒死亡事故
インドでは、メチルアルコールの他、殺虫剤などの化学物質が入った安い密造酒の販売が横行。インドで密造酒の値段は、市販の酒の半額以下で、貧困層がこうした酒を飲み、死亡するケースが多いということです。(2013年)


おまけ)自動販売機の下に不審な缶が置いてあった場合も同様、絶対に飲まないようにしましょう。お酒でなくても。

それでは本日はこれまで・・・。







ハロウィン ☆コスプレ お菓子




・・・なぜ日本でハロウィンが人気行事になったのでしょうか。

 日本には秋のイベントがありませんでした。

春 お花見 入学式・卒業式
夏 海水浴やプール
冬 クリスマス 正月

と言う風に、春、夏、冬にはそれぞれ大きなイベントや行事がありました。
しかし、秋はと言うと

秋のお彼岸
焼き芋

など、風情こそあるものの盛り上がりにかける行事が多く、他3つの季節に比べると地味な印象が強かったです。
そんな日本にとって、秋のお祭りともいえるハロウィンはピッタリだったのです。

特にライバルのいなかったこともあり、ハロウィンは空白だった秋の行事枠にすっぽりと入り込むことができたのです。




・・・ハロウィンが日本で注目されるようになった背景・・・

 東京ディズニーランドがきっかけでした。東京ディズニーランドでは、1997年10月31日に園内に仮装した入園者が集まるイベント「ディズニー・ハッピーハロウィーン」を開催。2000年10月31日には400名の仮装した入園者とディズニーのキャラクターが園内をパレードする「Happy Halloween Twilight Parade」が開催されました。


もともとディズニーランド好きな日本人ですが、1997年から始めたハロウィンイベントがヒットし、次第に規模も認知度も高まり、秋のイベントとして恒例化していったと言われています。現在では9月初旬から始まる大きなイベントの一つとなっています。


また2001年に開園した大阪ユニバーサルスタジオジャパンUSJ)でも、翌年の2002年から毎年ハリウッド・ハロウィーンイベントを開催しています。日本でハロウィンの注目度が高まった理由は、もともと人気のあったディズニーランドでの新しい年中行事として徐々に知られていき、開園間もない新しいUSJでもハロウィンイベントが開催されることにより、一気にその知名度を上げていきました。日本でのハロウィン人気の火付け役は、日本の2大テーマパークだと言えます。



・・・コスプレ文化・・・

ハロウィンが知られるようになっただけでなく人気を獲得できたのは、ハロウィンには他の行事にはない”仮装”という要素を含んでいるからです。もともと日本ではアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮するコスプレが人気でしたが、このコスプレも起源はアメリカのハロウィンで行われたSF作品に登場する人物の仮装大会だと言います。

また、日本人のファッションは保守的な欧米に比べて自由度が高く、原宿系やゴスロリ=ゴシック・アンド・ロリータ (Gothic & Lolita) は、本来異なるゴシックとロリータの要素を 結びつけた日本独自のファッションスタイル。またそのようなサブカルチャーを指して言う語)など奇抜なものも多いです。ハロウィンが日本に上陸するはるか以前より、竹の子族やヤンキーなどの目立つ服装をする人がいました。

ロリータ【1990年代以降に日本で流行したファッションスタイル】

このような背景から、普通とは違う”変わった服装=仮装”をすることに抵抗感のない人が多かったため、仮装パーティーであるハロウィンパーティーが急激に広まったのではないでしょうか。アメリカには他にもイースターや感謝祭など他の年中行事もありますが、ハロウィンだけが特別人気を集めたのも「仮装」という楽しみがあったからだと思います。



・・・日本人の国民性・・・

 日本のハロウィンはクリスマスなどと同様に、日本では宗教的背景の上でハロウィンを開催している例は皆無であり、あくまでイベントとして楽しむもので、娯楽化、商業化されたものです。

日本は諸学国に比べ積極的に海外のイベントを取り入れる国です。海外に対する関心も高く、新しいものを比較的容易に受け入れる点が日本のハロウィン人気の高まりを助ける要因になったのではないでしょうか。



・・・なぜハロウィンでお菓子を子供たちに配るのでしょうか?

 ハロウィン的解釈では、毎年この日に秋の収穫を祝い、ご先祖様が帰ってくるのをお祝いするお祭り行事が行われていたとのこと。なんか、日本のお盆的と同じですね!

昔はこの時期に、ご先祖様の霊が帰ってくると信じられていたのですが、実は、なんと!悪霊や魔女も一緒についてきてしまい、農作物や畜産物に害を与えたり、子供たちをさらっていこうとしたのです。

さらに、この悪霊たちは人々の家の周囲を徘徊し、家の中に入って悪さをしようとしていたそうです。そこで、人々は悪霊達が家の中に入ってこないようにお菓子を渡して元の世界へ帰ってもらうようにお菓子配りで魔除けをしたわけですね。

これが、ハロウィンにお菓子をあげる起源でもあり、配る意味なのです。




・・・ハロウィンの定番のお菓子・・・



そりゃあやっぱり子供たちや若者(特に女性)が好きな【クッキーとチョコレート】が定番ですね。

その時の合言葉は、

お菓子を貰う側 「trick or treat!」・・・「お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!」

お菓子をあげる側 「Happy Halloween!」・・・「よいハロウィンを・・」

それでは、今年もハロウィンにどっぷり浸かって美味しいお菓子でも食べて楽しみましょう。

大人も子供ね。







ハロウィンかぼちゃ


 もうすぐハロウィンですね。私自信あまり知識がなかったけれど
興味があったので今回はハロウィンについて取り上げてみました。


ハロウィンは簡単に言うと、収穫祭です。諸説ありますが、現代風にとらえると、秋の収穫を祝うお祭り。毎年10月31日に行われます。





・・・ハロウィンの発祥


ハロウィンはもとを辿ると古代ケルト人のサムハイン祭まで遡ります。

  ケルト人:中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物でヨーロッパに渡来した民族

古代ケルト人は紀元前から存在していた人々で、ヨーロッパ全体に移り住んでいたと言います。
サムハイン祭は、作物の豊作などを祈願するお祭りのことで、生贄として人間がささげられることもありました。

古代ケルト人にとってみれば冬は一年の始まりでしたから、収穫祭として、来年の豊作を祈り、神々に生贄をささげたのです。(ケルト人の1年の終りは10月31日、1年の始まりは11月 1日)




・・・その後の歴史

 その後、サムハイン祭は紀元後1000年まで続きましたが、その頃になるとキリスト教の普及が広まっていました。
キリスト教はサムハイン祭を異教徒のお祭りとみなしましたが、弾圧はせず、11月1日に万霊節という祝祭を置くことで対抗しました。いわば、祝祭を置き換えることでサムハイン祭を押さえつけるようにしたのです。

これによって、異教徒であるケルト人の古い風習と、キリスト教の霊のための祝祭が混在する期間があり、ある地域では融合したりしていきました。

霊のための祝祭だったので、霊のためにごちそうがふるまわれました。これは今日の「ハロウィンではごちそうを食べる」という風習に通ずるものがあります。




・・・魔女狩り

中世になると、魔女狩りが流行します。多くの女性が言いがかりによって火あぶりにされますが、中でも「ハロウィンの夜に魔女の集会に参加した」という理由もあったそうです。サムハイン祭の生贄をささげるという不気味なイメージから魔女と連想されたのかはわかりません。ハロウィンと魔女は魔女狩りの時期に結び付いたイメージだと考えられています。

         魔女狩りの起源

魔女は、古代ケルトの収穫感謝祭や悪霊払いの際に尊ばれた老女が起源と考えられます。老女は、古いものや母なる大地であり、知恵や変化の象徴となっていました。それが、中世のヨーロッパにおいて、当時の暗い世相や、昔からの因習を嫌うキリスト教の影響で、知恵などの象徴であった魔女は弱悪な存在へと変わっていきました。挙げ句の果てには、魔女狩りが行われました。こうしたイメージがハロウィンに取り込まれていったのです。





・・・火について

ハロウィンではたき火など、火が扱われることが多いのですが、これは収穫祭によって得られた作物の中でも、不要なものを燃やしたということから由来します。
また、霊のための祝祭なので、霊が迷わないように道を照らすためだとも言われています。
いずれにせよ、今日ではその名残がジャックオー・ランタン(光る衣装を身にまとうカボチャ頭の男の姿)の中の火として残っていると言えます。

         

次回はハロウィン関連の楽しい、美味しそうなお話をしたいと思います。












人生の苦しみをぐっと減らすコツがある


 最初に、言葉の定義として苦とは「苦しむ」ことではなく「思うようにならない」という意味で話を進めますね。




☆ 人生の「四苦八苦」は半分にできる。

 最初の「四苦」とは、根本的に人間が避けることのできない「生・老・病・死」の4つの宿命を意味します。どうあがいても、誰も決して逃れることのできない必然的な定めです。


 もう一種類の「四苦」とは、人間が人間として生きていくうえで味わう、次の4つの苦しみ。


 ・欲しいものが手に入らない「求不得苦(ぐふとくく)」

 ・愛する者と別れなければならない「愛別離苦(あいべつりく)」

 ・嫌な人と出会ってしまう「怨憎会苦(おんぞうえく)」

 ・世の中はままならないものだという「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」


合わせて「八苦」と言う意味になるのです。


 後者の「四苦」は前者の「四苦」とは本質的に大きく異なります。


 「自分の心をうまくコントロールすることによって、解決できる苦しみ」だということ。これで人生の八苦のうち半分をなくすことができるのです。






☆ 心の針(メトロノームのような針)の動きが人生を左右する。



 心のなかに“針”があると思ってください。針は、あなたの心の動きにしたがって右へ左へと行ったり来たりしています。何かいいことがあったり、気持ちが満たされたりすると、心の針はプラスのほうに振れます。



かたや、怒りや不満でイラッとしたり、ムッとしたりすると、その瞬間、心の針はマイナスのほうに振れます。




☆ 四苦八苦の克服法



 欲しいものが手に入らないときには、その存在を忘れてしまいましょう。「手元にないもの」や「手に入らないもの」について悶々と考えることをキッパリとやめ、かわりに「手元にあるもの」に焦点を当てて感謝しましょう。これは「知足」、つまり「足るを知る」という仏教の教えにも通じます。




 愛する人との別離は、受け止めがたく苦しいものですが、この世のすべては諸行無常であり、会者定離(えしゃじょうり/この世で出会った者とは、必ず別れるときがくる運命にあること)が人の世の定めです。出会えた意味を考え、それに感謝しましょう。

 



社会に出れば、嫌な人、苦手な人と出会ってしまうことも必然です。イラッ、ムッというネガティブな感情にとらわれることなく、「なぜ、自分はこの人のことが苦手なのか?」「どうすれば好きになれるのか?」「このご縁に向き合うことで、自分はどう成長できるのか?」このように、ポジティブな発想転換をはかりましょう。



そして、世の中はままならないものです。人生は自分の思いどおりにいかないことの連続ですが、そもそも、自分がコントロールできるのは自分だけ。自分以外の他者や外的状況をコントロールすることは不可能です。「思いどおりにしたい」という驕りを捨て、心の針をプラスへ向けながら、周囲と調和して謙虚に生きることで、人生の苦しみはぐっと軽減します。   

 



☆ 「運の良しあし」で人生を決めてしまってはいけない。



人生の「運の良し悪し」は、実体のないあいまいなもので、神通力に頼る他力本願的なものでもありません。ある意味、各人の“諦めの思い込み”のような所があります。





 運とは、「運ぶ」という漢字を書きます。これは、幸運や不運が、ある日突然に立ち現れるものではなく、脈々と続く流れによって運ばれるものであるということを表しています。




つまり、いまの自分の心が、明日の自分が運ばれる方向を決めるということです。よい方向、悪い方向、自分の未来がどちらへ運ばれるかは、いまの自分の心次第なのです。




☆ 嫌な事があっても、プラスに戻す努力が必要だ。


 ときには、理不尽な不幸や悲劇に見舞われることもあるかもしれません。しかし、そこからどう立ち上がるか、どう希望を見いだしていくかは各人の心次第です。




最初から「できない」と決めつけていては、変化や成長はありません。できなくても諦めずに、コントロールしようとする努力を“継続する”ことに意味があるのです。



 今日より明日、明日より明後日……と努力を続けていると、だんだんと、マイナスが定位置となっていた心の針が少しずつ真ん中のほうへ、そして真ん中からプラスのほうへと振れはじめます。





釈迦が説いた「人間の4つの生き方」


 釈迦はかつて、「人間には4種類の生き方がある」という話を説きました。



・光から光へと生きていく人間

・光から闇へと生きていく人間



・闇から闇へと生きていく人間



・闇から光へと生きていく人間





 光というのは、人間が理想とするべき生き方。つまり、明るい光を求め、心の針がつねにプラスの方向を目指している、前向きでポジティブな生き方です。


 闇というのは、怒り、恨み、憎しみ、悲しみの気持ちにとらわれ、心の針はマイナスが定位置となったネガティブな生き方。つまり、人間としての成長を妨げる生き方です。


 今日から“心の針”の存在を意識してみてください。そして、その針がつねにプラスに向かうように心がけてください。針がマイナスを向いたことに気づいたら、すぐに元に戻す努力をしてください。これが、人生の苦しみを半減させる極意です。





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『歩くだけで悩みを忘れる 歩行禅のすすめ』より

著者は1300年の間に2名しか満行していない千日回峰行を達成した方です。

座禅とは違う歩行禅。歩いている時って一瞬【無】に成っている自分を感じる時ってありませんか?(散歩や買い物、仕事に集中している時も同じですが)


至らない点があるかもしれませんが、良いお話だったので今回私なりに纏めてみました。











私のモットーって「 なんだ坂 こんな坂 」


  私の人生のモットーは、「なんだ坂 こんな坂 」です。



 私の生まれた家は、六畳二間の貸家の2階、風呂は銭湯通いの結構不自由な環境で大きくなりました。狭い貸家で5人家族が生活して着ました。今考えると良い経験になったと思います。今の私の忍耐力が養われた時期でもありました。そんな生活が中学2年までの14年間続きました。



 父がマイホームを持ったのは私が中3の時、父は安サラリーマンだったので平屋の小さな木造しか持てませんでした。でも今考えると父は大したもんだと思います。



子供3人教育中で苦しい中でしたが、家賃を払うより自分の家を持った方がいいと判断したのでしょう。父はまだ早すぎるとは言っていたのですが、母が建てるのは今しかないと頑張って説得したのです。


 ですから食べるものも(味噌とたくあん)ばかり・・・とはいきませんが母は倹約に徹していました。私達は育ち盛りなもんですから腹がすぐ欲求不満になります。近くの農家の友達の家は芋だけは豊富だったので、その芋を当てによく遊びに出かけました。



その友達の家の庭で缶蹴りをしながら焼き芋が出来るのを待ってホクホクと頂くのは最高に美味しかったです。(当時のおやつは芋、茹で干し【芋を厚さ1cmくらいに切って茹でた後、縄に通して軒先に干したもの】、柿くらいでした) そのようにしてチャッカリとした処世術を身に付けたのでした。



 当時はそんな家が普通だったと思います。別の記事にも書きましたが私の兄弟は男ばかり3人。私は一番下ですが着る物も事を欠く生活で兄のお古を継承するのは当たり前、教科書も使えるものは下へ下へと使いました。



学校の先生も何も言いませんでした。当時はそんな子供はいっぱいいましたから。時代がそうだったんですね。いまの親はそんな事、子供にはさせないでしょうね。かわいそうで・・・


 今の日本は本当に物が豊富になりました。豊富になり過ぎて物を大事に使わないようになりました。お金さえ出せば何でも買える日本ですから。贅沢病と言うんでしょうか。


 それから人の心も変わってしまったような気がします。昔はみんなが助け合って生活し、ちょっとした娯楽でもみんなが寄り添って楽しみました。行事なども盛んでした。でもだんだん消えて行ってしまったような気がします。



さらに核家族が当たり前になって無縁社会がひどく成って、孤独死もたくさん増えて来ています。悲しく寂しいことです。


 これからの日本どっちを向いて進んで行くのでしょうか? 物は豊かになっても心をどっかに置いて来たような気がしてなりません。


 と言うことで、私は戦後すぐの環境で育ちましたから少々の事ではへこたりませんよ。社会人になって壁に当たっても、私生活で困難に遭遇しても「なんだ坂 こんな坂」で乗り越えて来ました。言い換えれば「一生懸命やれば人生何とかなる」とも言えるんですが。




















コンニャク・・・しみ味


 気候も涼しくを通り越してヒンヤリして来た今日この頃ですが、そろそろ「おでん」が欲しいと感じる季節ですね。

 ところで皆さん、おでんの中でも何が一番すきですか?私はやっぱり味のしみ込んだコンニャクですね。味のしみ込んでいないコンニャクは頂けません。

 ではどのようにしたら短時間でコンニャクに味をしみ込ませることが出来るのか、調べてみました。その内容が整いましたのでご紹介したいと思います。

 おまえそれはパクリだろ。と言われる前にお断りしておきますが、某公共放送で夜のゴールデンタイムに流れていた内容ですので悪しからずです。

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そもそもコニャクとは、サトイモ科の植物、あるいはその球茎から製造される食品。 古くからコンニャクを食用としてきた主な地域は、日本、中国、ミャンマー、韓国などのアジア各国にありますが、和食ブームとともに低カロリーの健康食品として欧米にも広がりつつあります。
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 前置きは、さて置いて本題に入ります。結論から言いますと

こんにゃくを「砂糖でもむ」! です。


  ふつうの「板こんにゃく」の場合…1~2センチ角の食べやすいサイズにサイの目に切り、100gあたり5g程度の砂糖と一緒にポリ袋にいれて2~3分間よくもみます。するとこんにゃくの中の水分が外にでてきます(こんにゃくの匂いが苦手な人はこの水分を捨てる)。そのあとでこんにゃくが浸る程度のしょうゆに漬けて、冷蔵庫で3~6時間おくとしょうゆ味が染みたこんにゃくが出来ます。 温かい状態で煮物に入れたければ上記のものをダシの入った鍋に入れ、ごく軽く(沸騰させない程度)火を入れてください。



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酒のあてに最高のおでん! 一人住まいの男にとっても簡単に作れる料理です。女所帯の環境でない方、一度試してください。



サイの目に切ると、こんなんです。醤油につけた状態です。




おまけ



 因みに、NHKのコンニャクのWEBページアドレス載せておきますので、もっと詳しく知りたい方はそちらもどうぞ。他のコンニャク料理の作り方もありますよ。




ではまた・・・











人気女優・・・なぜ突然引退するのか


なぜ突然引退するのか


 例を挙げれば、堀北 真希さん:1988年10月6日生まれ(29歳) 夫は俳優の山本耕史 2017年3月1日、突然の引退を発表しました。結婚して子どもが生まれたため、家庭を優先してこのような決断をしたといわれています。私の世代から考えるとそうした方が夫婦仲はうまくゆくと思いますね。





 最近、売れっ子俳優が突然引退するケースが目に付きますが、たとえば成宮寛貴さん、江角マキコさん、清水富美加さんなど、それぞれ引退に至るまでの経緯も立場も違いますが、多くの俳優が突然去って行きます。




 一度スターの地位を得たら、できるだけそれを守りたいと思うのが人情と思いますが、彼ら彼女らはいとも簡単にその地位を投げ出して芸能界から離れていってしまうように見えます。どうして最近このような事が多いのでしょうか?





以前までは芸能人という地位に就くことには大きな魅力がありました。テレビを見ている人たちも、彼らに素直にあこがれの目を向けていました。しかし、最近は事情が違て来ているようです。





現代ではファイスブックやツイッターをはじめとするSNSなどでも芸能人の目撃情報などが拡散されるようになり、「芸能人の△△が○○と一緒に歩いていた。」というような情報がウェブ上に公開されると、あっという間に共有されていきます。






若者をはじめとする現代日本人は、高度経済成長がとっくの昔に終わり、未来に希望を持ちづらい時代になって来ており、将来への漠然とした不安が広がっている社会では、人々は自分の未来を追いかけるよりも自分より先を行っている人の足を引っ張る方に目が向きがちになります。





そしてスターを地の底に引きずり下ろす事が楽しみになってきています。芸能人同士の不倫など、本来ならば当事者以外には何の関係もないようなことでも世の人々は大げさに騒ぎ立て、バッシングの嵐を引き起こします。その結果、ターゲットになった芸能人は必要以上に精神的に追い詰められていくのです。





芸能人は身近な存在になり、あこがれの対象ではなくなって来ました。芸能人が1種のファンサービスとして自ら情報を提供して内面をさらしているのに、そのことが彼らの神秘性を剥ぎ取り、価値を下げていくこともあります。





結局、芸能人であることがビジネスとして割に合わなくなってきている時代のようにも思えます。




引退は決して後ろ向きなものではありませんが、精神的苦痛から解放されて自分の家庭や生活を守るため身を引くのも前向きな人生を獲得できる術なのかも知れません・・・







芸能の仕事も一つのビジネスであり、割に合うか合わないかを天秤に掛けるとトントンになってしまう位マイナスとプラスが均衡して来た時代なのでしょう。

 既に逆転しているのかも知れません。



 思い起こせば、山口百恵さんもそうでした。今も幸せなんでしょうね。





兄弟は他人の始まり?


下から信頼されて来なかった長男

 身内の問題を表に出すのは、恥ずかしいのですがこの際、皆さんに聞いて頂いて何かの参考にして頂けたらと思います。

 私の兄弟は男ばかり三人の兄弟です。長男72歳、次男が70歳、三男の私が65歳の兄弟です。

 父は5年ほど前に亡くなり、母も90歳を超えて元気なのですが認知症がひどくなっています。

 既に跡取りの長男とは遺産や親の介護については話が着いております。次男と私は遺産は要らないから母親を看てもらいたいということで話が着いております。


 一般的には遺産や親の介護が理由でこじれるのが普通と思いますが、私達の場合は単なる跡取り長男の自己中心的な性格が他人以上の関係になったということが最後まで読んで頂けたら分かって頂けると思います。







 私と次男は小さい頃から暴言を受けたり能力や趣味をけなされたりしてきました。長男は上から目線で自分が一番偉いんだ、上手なんだとばかり長男風ばかり吹かせてきました。言葉使いも悪いです。自分が弟より劣る部分を絶対に認めない昔よくある家長タイプでした。私は一生トラウマを抱えて生きてきた部分があります。次男の兄も私によくそう言います。(次男に関しては私よりも酷いです) 私は衝動的に自殺しかけたこともありました。

 私達はここに来て既に絶縁状態になりました。それでもいいと私は思ってきましたが大変悲しい事です。次男はもっと昔から虐められ可哀想と思います。


 私は小さい時から長男と遊んだ記憶がありません。次男と長男が遊んでいるのも私は見た記憶がありません。小さいころからの信頼関係が築けなかったのだと思います。でもそれ以前の問題として長男の人格が桁外れて悪かったのがこのような関係になったのだと思います。

 親の躾が悪かったのだと思います。戦後すぐの廃墟の日本で最初の子もあって甘やかし過ぎたのでしょう。私も子育ての経験がありますから良く分かります。今更、親をどうこう思いたくはありませんが、甘やかし過ぎた部分に関しては親を尊敬できません。

・・・跡取り長男は私の子供の成長に対する妬み嫉みも素直に出して言われました・・・自分の子と比較するんでしょうね。その時は女房とともに涙が出るくらい悔しかったです。


 最後に、私は70歳も過ぎた長男を情けなく思います。・・・よくもまああんな人間が育ったもんだ。幼稚園の純粋な優しい子の方がはるかに立派なものだと思います。








人には思いやりが無ければ、自分も思われない。それは人生の最後に良く分かります。

 




 


私は時々、夕焼け小焼けになる


 私は、綺麗な夕焼け小焼けを見るとどうも古里を思い出し、タイムスリップして過去に浸ってしまいます。今の日々の生活の中で一番ホットする瞬間です。






 でも私はイケナイイケナイと自分に言い聞かせてしまいます。私は、人生を振り返ることはマイナス思考の振る舞いであって自分の生きる弱さを暴露しているように思えて仕方ありません。まだまだ残りの人生を生きなければいけないのに、今からそんな弱気でどうするのかと自分に言い聞かせているように思えるのです。

 たまに古里を思い出すことは決して悪いことではないですよね。ほろ苦くまた懐かしく、心地良いことですし、親のことを思い出して孝行してるような気分です。







 私は古里を出て、今は違う土地で生活しています。父は数年前亡くなり母は92才で認知症がひどくなっています。実家は長男が継いでおり任せっきりです。

 ところで古里ってのは、自分が幼いころの記憶を呼び起こし、実際より数段上で美化して思い出しているようにも思えるのですがどうでしょう?

 でもその頃にも嫌なことはいろいろあった。友達と喧嘩をしたことや不良少年に虐められたこと。それから優しい女の子を泣かせてしまったことなど。

 また楽しかったのは、野や山を駆けまわって野イチゴや柿を食べたり天然の栗を取ったり、それらは四季折々の自然の色と風を同時に格納した玉手箱にような、いや人生の宝物と言っても良いのかもしれない。それらを総称して古里と言うのかもしれません。







 綺麗な夕焼け小焼けを見て哀愁と懐かしさを感じさせられるのは、人生の復習をさせられてるみたいです。故郷を出てからの人生には入ろんなことがありましたがこれからもいろいろあるでしょう。


前を向て明るく楽しく、良い思い出をつくるために歩んで行きましょう。


 人生の苦労をなんだ坂、こんな坂で乗り越えて行くのが人生というものかもしれません。














認知症の母は、息子の私を忘れてしまった

 認知症の母は今年で92才になりました。でも息子の私を忘れてしまいました。



 発症しはじめたのは70才位ではないだろうか? 歳と共に症状は良くならず悪くなる一方でした。85才位までは父が面倒を見ていましたが、その父も脳卒中で倒れてしばらくして他界してしまいました。介護をしていた父の方が先に逝ってしまって何とも言いようがありません。


現在、母を看ているのは長男です。長男は結婚して以来、核家族で何十年間外で暮らしていました。車で45分くらい掛かるところです。父が倒れたのを切っ掛けに独り帰ってきたのですが、長男の嫁は向こうの家でいます。現代は昔となんか違うようです。何とも申せません。私は三男で外にいますからどうこう言える立場ではありません。


父が亡くなって相続分の話があったのですが真ん中の兄と共に放棄しました。「その代わりおふくろ看てくれよ。」ということです。私の実家は貧乏な家で財産なんてありませんでしたし、頂こうという気持ちなんて最初からありませんでした・・・


 話が反れてしまいましたが認知症のこと。息子にとって母親の記憶から消えてしまうのは非常に寂しいことです。言葉で表すのはとっても難しいです。


 母は現在、デイサービスとショートステイの繰り返しの生活ですが、私はたまに施設の方に顔を見に行っています。話すことは別にないのですが・・・



 皆さんも親の子供であるあなたの存在を忘れられても、たまには顔くらいは見に行ってあげて下さいね。

 
お父さんのことも忘れちゃいやだよ






<災害>長期停電・・・水電池



 今回テーマにした水電池は、マジで阿部首相の専売特許イノベーション(技術革新)の賜物と思います。台風、地震での中長期停電時には欠かせない必需品だと思います。我が家は充電式が元気なので水電池はまだ恥ずかしながら持っていません。(自戒の念を込めて書いています)

 さてこの水電池、水と触媒を化学反応させて発電させるものですが、世界で初めて日本の企業が開発したらしいです。

LED懐中電灯 、ラジオにはNOPOPOタイプ


単三水電池を開発した社長が説明している動画

お兄ちゃんがいろいろテストしている動画



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スマホを30回ほど充電できる水電池・・・古河電池


ムービー
概要・発電の仕組み
                               



使い方 (スマホの説明あり)




 我が家の乾電池は現在、充電式ですがこれはあくまでエコに関心があっただけなんです。もし災害時に中長期停電になったら充電式は何も意味もなしません。

 この水電池の説明を詳しく読んでいると分ることですが、あくまで緊急時のためのものです。普段使うものではありません。普段、インフラ電気が通っている時は従来通りの使い方でよいのです。

 もっともっと普及して欲しいですが、行政の方では進んでいるんでしょうかね。私達が知らないだけなんでしょうか。市民レベルではあんまり知られていないように思えるんですが何が足らないんでしょうか?









私はこれでタバコを撃沈させました

成功率100%ですので是非やってみてください。

 私はタバコを1日5本に減らしました。でも禁煙はしません。意志が弱いですから・・・ヘビースモーカーが1日5本に減らすだけでも体にとっても良い事だと思いませんか? 私は1日30本以上吸ってたのですが本当に5本程度になりました。5本程度になって2年になります。ではその方法をお教えします。


 まず、ヤフオクかアマゾンで写真のようなキセルを用意してください。安いもので十分です。(私が買ったのは500円位) 長さは15cmほどで首が抜けるタイプがいいですね。フィルター交換と首の掃除のためです。


 
 次に1本のタバコに、1/3ずつの印を入れます。これは3回吸って1本分とする計算です。





 次にキセルの長い方にフィルタを最低2個詰めます。キセルの径が小さく、きつければほぐして3分割してピンセットで押し込んでください。(水を吸い込ませて絞った状態の方がニコチン、タールをよく吸着します)



    ↑ この写真は私のキセルです。年季が入っているでしょ。


 これでセットできました。吸う時間間隔は人それぞれですが、以前と同じペースで吸ってもおのずと減るはずです。1本まるまる吸う人はまずいないでしょうし、時代劇に出てくる一服のシーンでは3服か4服でコンコン!で終わりですよね。昔はキザミしかありませんでしたから。今は捨ててる部分が多いですね。その分、この方法では経済的とも言えますね。



 首元に金属のようなものがありますが、これはフィルタ交換と掃除のために、脱着を繰り返すと自然と緩くなるので、他方と繋ぎとめるための穴付き金属板です。瞬間接着剤で引っ付けています。左側は透明ビニールパイプ(硬め)でカラー針金を通して首元と緊結しています。透明ビニールパイプでなくでも金属板でもOK。これは将来緩くなった時にやる事ですから最初にしなくても大丈夫ですよ。ビニールパイプはたまたま家にあったから使っただけ。 フィルタ交換と掃除のために脱着を繰り返すと自然と緩くなるので、左側の透明ビニールパイプ(硬め)にカラー針金を通して首元と緊結してください。

 下の写真は、私のデータ日誌なんですが3回で1本分です。正月の<正>でSTOPさせたらタバコ5本分です。1日に3×5=15回 吸おうとすれば結構、時間を必要とします。これが狙いなんです。



 次の写真は、約2年間のデータです。毎日糊付けして月ごとにまとめてあります。不思議な事にやり始めて1週間で<正>で納まるようになりましたよ。1/3本でも3服4服吸えば1本吸ったような気分になりますもんね。精神的なものが作用しているのかもしれません。是非、皆さんにお薦めします。


 完全禁煙までやろうと思う人は、まずこれからやってみてください。














お風呂の蛇口の水漏れが止まらない


 この度、我が家のユニットバスの蛇口が20年間、故障なしだったのが機嫌が悪くポタポタと一晩で洗面器一杯になるくらいです。夜中はその「ポタポタ」が、お風呂と共鳴致しまして眠り難く神経に触ります。精神衛生上に良くないですね。そこで整いました。

   業者さんに診てもらうのが一番楽なのですが、何分費用がどの位かかるのか見当もつきません。何万円は掛かるでしょう。それでは勿体ないと思い、これ位の事は経験のため自分でやってみようと思ったのです。やって見て施し様がなければその時はプロを呼ぼうと決心しました。さあ開始です。

  我が家の風呂は、ユニットバスで写真のような蛇口がついています。現在の浴室の蛇口はこのようなタイプのものが多いのではないかと思います。







 とにかく分解して見なくては分かりません。そこで下写真の矢印部分をみると六角ではありませんが回し易そうなネジ部がありました。スパナで回そうと探したのですが、ぴったり合うのが無かったのでモンキーレンチでまわしてみました。するとスポットその部分を抜き出すことができたのです。結構きつく締まっていました。






 よく見ると「KVK」と部品番「PZKF58A」が書いてあります。「KVK」というのはおそらく企業名だと思いネットで検索してみました。ありましたよ。株式会社KVKと言う会社です。水栓金具などを製造している企業で1939年創業とあります。信頼できそうですね。そしてKVKの製品の中で我が家と同じ写真を探して見ました。よく似た写真に「KF11○○」らしき販売終了品がありました。我が家を持った年頃と合致します。

 さてその部品(切換ボンネット)をよく見ると、下写真の矢印部分の硬めのゴムパッキンが細くなってフラフラになっていました。これが原因で水(または湯)が漏れ出していたのかもしれません。そう思い早速この部品をホームセンターで探すことにしました。



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 付近の大手のホームセンターを何社か探したのですがなかなか見つかりません。そして最後にあったのは・・コーナン・・だけでした。







 さあ帰ってきて取り換えてテストして見たところ見事に止まりました。壮快でした。感動しました。最初は不安でしたが水が止まった事で自信も湧いてきましたよ。少々不安でも挑戦してみる大事さを再び学びましたね。最後にこの部品の説明書を付けておきます。参考にしてください。






あなたのお家が故障の場合はメーカーと品番をきちんと確認してくださいね。

そして分解する時は、前もって水道とガスの元栓を閉めてからよろしくお願います。

因みに、お値段ですが 3360+税=3629円でした。安く上りました~(笑)









「処方箋だけください」・・・イエイエそうはいきません


もっと簡素にならないか処方箋



 私が以前、食道ガンの手術をしたという事をこのブログでお話しましたね。その後ずっと薬を飲んでいます。ガンを発見してくれたのはピロリ菌の検査ではじめて内視鏡を飲んだクリニックです。保険が利くようになって飛んで走ったクリニックです。(貧乏くさいですね)処方箋はそこから貰い続けているのです。貰うと言っても当然お金はいりますけどね。毎回1500円くらいだったと思います。







薬が終わったので処方箋だけ欲しいのですが、受付のお姉さんに「処方箋だけちょうだい」と言っても「ダメで~す」の返事。融通がきかないのです。受付のお姉さんは・・・でもそれは医師の代弁者でもあります。








 診察室へ入らず処方箋のみ発行するのは法律違反になるんですよ。医師法 第20条にちゃんと書かれているのです。



第4章 業 務
第20条 医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。

なるほど。反論の余地なしですね。

「同じ症状」だからと患者さんが訴えても、医師ならわかる「別の症状」の可能性もあるんです。また、同じ症状だったとしても、「同じ症状であるので引き続き同じ薬」か「同じ症状であるので違う薬に変更してみる」か、診察しないと対応が出来ないのです。


 まあ忙しいのはわかりますけどね、結局は患者さんのための法律でもあるんですね。面倒くさいですが、ちゃーんと受診しましょう! (諦め気分・・・)


 こちらも面倒くさいですが、先生の方も面倒くさいと思ってるカモね。先生の方はプロですから患者を診るのが仕事です。フィフティー、フィフティーで明るく生きましょう・・・












大腸ガン検査しました。・・・何度もやるもんでない。


何度もやると尻がくさる。


 お尻から過去二回受けました。一回目はポリープ数個(結果、良性)取りました。二回目は前回十分見えなかった部分を肛門から小腸の出口までつぶさに検査しましたよ。その時の感想です。



 検査前に大腸の中を空っぽにするため、前日から食材制限。油っこいもの、繊維質の多いものはダメ!カスが腸に残りにくい食事はできません。軽い食事で検査当日は力が抜けたような気分です。空腹でフラフラしながら病院へ。朝一にエントリーです。


 まずは大量の液体をゆっくりと何回にも分けて飲みます(2リットルで~す。ギョを何回も経験しますギョ)。






下剤が入っているようで、後は想像に任せます。便がきれいになったと判断したら看護師に便器見てもらいます。OKなら検査室へ。大抵は、もうちょっとがんばって綺麗にしてください。( これ以上きばれるか!と言う状況にまで追い込まれて検査室へ。)







 大腸スコープは、まな板上の鯉状態。焼くなり煮るなり好きにしてくらはい。って開き直ってベッド上へ。大腸壁にカメラが当る鈍い感覚は気持ち悪いですが、普通は医者と一緒にモニターが見られます(自分の腸は背中に十分固定しないらしいのでカメラがすんなり奥まで入りにくいようでした。なのでもう一人先生を呼んで来てカメラ付近のおなかを抑えつつカメラを誘導しながらの検査でした。)ふ~ふ~言いながらの検査でした。

 結局、肛門から小腸の出口まで満遍なく見てくれました。異常がなくて今回は一安心です。






   ところで小腸ガンってのは殆ど無いらしく検査の対象には入ってないようですね。と言うか想像して見てくださいwwww。誰もが避けたい部分ですよね。小腸の検査はカプセルカメラでやるようですね。(保険が効くようになったらしいです。)



 まっ、あまり緊張しないで受けてください。女性も結構来てましたよ。

つらいのは検査ではなく検査前の下剤です。(笑)

2リットルをひたすら飲みながらピッピの繰り返し。透明になるまで出し切るんです。看護師さんのOKがでるまでね。






 ただ一つ、下剤が美味しくないと言ったらありゃしない・・・

もう少し味も良けりゃ検査人口が増えると思うんですがね・・・・・・・。



 検査自体は一度一気に内視鏡を奥まで入れて、引き出す時にゆっくり中を確認しながらという手順で進んでいくようです。ちょっとおなかに違和感はあるものの、痛みが伴うわけではないので安心してください。












二人に一人が癌になる。完治報告


早期発見なら必ず直る

おっとう



 私が食道癌だと分かったのは5年ほど前、胃がん検診に行った時に食道に癌があることがわかりました。胃がん検診に保険が適用されるようになったので近くのクリニックへ行って分かったのです。内視鏡で小腸の入り口まで調べてた結果です。


 保険が適用になってとは貧乏臭いですねえ。それから大学病院を世話してもらって手術をしたのです。


 私はその後、再発してまた手術しました。計2回です。どれもステージ1ですが検診は欠かせません。まだ生きていられそうですと言うより生かされてるって感じですね。


 この世にあまり未練はないのですが・・・。もう病院へ行くのが億劫になってしまいます。


 ところで手術は今の医学の進んだ時代なので痛いとか苦しい事は殆どありません。麻酔で知らぬ間に終わってしまいます。どの手術もよく似たものだと思いますよ。ですが入院は退屈ですね。回復して来るにつれ食べることのみが楽しみになってしまいます。人間の生命力ってすごいですね。


 入院して少し悟ったのですが、雑念に捕らわれずシンプルに生きる方がいいですね。


 検診は半年に1回行っていますが毎回3種類、① 血液検査(幅広く)、② CT検査(読影:画像を観察し所見を読み、その上で診断すること)、③ 内視鏡(上部内視:小腸の入り口まで)です。これだけやれば他の病気が出ても早期に発見できるようです。


 一病あって息災ってことでしょうね。


 そうそう、もう一つ病気を持っています。肝硬変です(ステージ1)。若い時飲みすぎたんですね。自暴自棄の時があったです。もうどうしようもありません。私、長生きの資格なんてないですよ。



そう深刻にならずに

 私の周りで、すい臓がんで三人、肺気腫で一人、脳梗塞で一人亡くなっています。手術したひとは多数。すい臓がんは自覚症状はありませんのある日突然、逝ってしまいます。怖いですねえ。


 みなさんにお願いです。何でもいいですから病院とお友達になっておいてください。


生きておれば何か楽しみがありますよ。



















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