女三人寄れば かしまし
若者には馴染みのない言葉かもしれませんが、「かしまし娘」ってご存知ないでしょうか?「♪ウチら陽気なかしまし娘♪」なんて歌っていた昭和の女性漫才トリオです。今は昔の話です。
先日、彼岸の日、嫁の実家へ墓参りに行ってきました。いつもの通り私達夫婦が最初に立ち寄る居間には近所の姥二人がいらっしゃってお喋りをしておりました。それは牛小屋のシンフォニーとも思えるような賑やかさです。
すこし離れるとモーモーの声が耳にさわります。感嘆詞です。「もういや~ね。」とか「もうあの人ったら。」、 男の私からすると気になる言葉です。そんな言葉が頻繁に入り乱れています。
私達は簡単な挨拶をした後、奥の台所の方で待つことにしました。しかし、なかなかお帰りくださいません。もうすぐ日が暮れてしまします。母との墓参りは未完に終わってしまいそうです。モーモーは終わりそうでありません。
所詮、婆さん同志の話ですから大した内容ではありません。毎度、同じネタの繰り返しです。認知症かと思うくらいです。それも人の悪口や家族の自慢話ばかりで、たまに妬みから仲違い も起こします。仕方ありません。その程度の人達ですから。やっぱり認知症に違いありません。
結局、墓参りは我々だけで行くことになり、母は日を変えて行くことにしました。母との墓参りは姥達のために未完に終わってしまいました。母は気が弱いので自分からは言えないのです。私は姥達の悪性を恨みます。少しは周りに気を使ってください。
人類が誕生してから今日まで、女達は夫の留守を担当して気ました。今で言えば専業主婦です。子供を育てながらコミュニティーを守って来たのです。そんな日常の中でコミュニケーションの手段として言語と言うものが生まれました。
言語は、男性の狩猟の連携にも必要でしたが、狩りは弓や槍があれば一人でも獲物を得ることは可能でした。しかし家庭を守っている女性たちは幼育に次いでミュニケーションが大事な仕事でしたから自ずと会話力が上達します。
その会話力が、何万年もの間徐々に遺伝子に組み込まれていったのでしょう。女性たちの雄弁さが男以上に発達した理由はそこにあるのだろうと思います。
それは悪い事ではありません。適材適所の考え方で冠婚葬祭や世間付き合いは女性に任せて置けば良いのです。男性はその重石でよいのです。それが役割分担というものです。ただ周囲に気配りを持たなければ欠点となることを忘れないでほしいのです。
最後に、私の妻にも言っておきたい事がある。
うちの嫁はひとりだってやかましい!