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台湾の鉄道史・・・日台間には運命的な絆があるようだ


台湾の鉄道史


清朝統治時代
1893年(明治26年)に基隆ー新竹間が開通。
 清朝時代は蒸気機関車を8両保有しており、1号機と2号機はドイツ、ホーエンツォレルン機関車で、別名「騰雲号」

騰雲号
イギリスのホーソン・レスリー社製。

掣 電

当然この時は、日本製のものはない。
(資料:全台鉄路商務総局)

日本統治時代 
日清戦争に勝利し下関条約より1895(明治28年)統治始まる
 台湾縦貫鉄道の建設に取り掛かる。1908年(明治41年)4月に縦貫線の基隆 - 高雄間404.2km 開通。 

データは1943年(昭和18年)10月現在のもの


日本が導入した機関車および気動車
CK101
 1910年代に日本は過熱式蒸気機関車の国産化に成功し、台湾の蒸気機関車も国産(日本)となるのは自然の流れであった。この頃台湾総督府鉄道では、牽引力のある汽車製造製の50形(後の台湾鉄路管理局CK50型は戦後CK100型 (CK101 - CK108) と改称)14両が、縦貫線で主力として使用されていた。  縦貫線:基隆駅ー高雄駅


気動車


気動車 キハ07形:日本車両・川崎車両製
台北にある公園で屋根付きで保存

1945年日本敗戦

中華民国時代
日本敗戦後、中国本土から逃れてきた国民党(蒋介石)により
台湾統治がはじまる。


 
 台湾鉄道の動力近代化は1950年代から始まり、ディーゼル機関車はアメリカ、気動車は日本で製造されたものが台鉄に投入された。


DR2700型気動車 東急車輛 ( 運用開始1966年  引退2014年 )


 その後、1972年日中国交正常化で日台関係が冷却化したこともあり、1970年代後半の西部幹線の電化はフランスの技術支援によって行われ、電気機関車はアメリカ、電車はイギリスや南アフリカ等日本以外の国から導入された。そのため、台湾の鉄道は様々な国の技術を混載したものとなっている。

DR2800型気動車 東急車輛 運用開始 1982年

 DR2800型気動車は、DR2700型のバージョンアップ版で非電化区間の東部幹線にて「自強号」に運用されている。自強号(日本の特急に相当)
  

DR1000型気動車 東急車輛 運用開始 1998年
 1992年12月、南廻り高雄~台東新駅(1982年に卑南駅として開業 1992年12月台東新駅に改名、2001年12月台東駅に改名) 間が開通して念願の台湾一周が完成した。


 2007年1月、台湾高速鉄道(日本の新幹線をアレンジ)が開通すると日本製車両が次々と導入されるようになる。

詳しくは下記リンクよりご覧ください。

 日本が敗戦しなかったら、あるいは蒋介石(国民党)が中国大陸から逃げて来なかったら、台湾はもっと発展していたかもしれない・・・
台湾高速鉄道 2007年1月開業
JR東海、JR西日本共同開発
製造  川崎重工業、日立製作所、日本車輌製造

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