子供たち二人は独立して県外で家庭を持っています。
典型的な核家族です。
私たち親夫婦は地方の田舎に住んでおり、質素ですが静かな暮らしをしています。
今日は2018年の1月6日、12月暮れから正月の帰省が終わって子供たちはまた県外の家庭へ戻ってゆきました。
孫はまだ一人ですが次がもうすぐ生まれます。早く生まれるのを待っています。もうすぐ生まれる子はどうも女の子らしく、着る物、身の回りの物はそれ用に準備を進めているようです。名前も既に決めているみたいです。あきれた。
生まれる前から性別が分るなんて何か違和感を感じません?・・・もっと自然体でいいと思うのですが・・・
医学、医療機器の進歩はすばらしいですが、男女の判別は分らない方がワクワク感がありますが・・・
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最近、思うこと
ある意味、寂しさ、わびしさを感じる人生の段階に差し掛かろうとしている昨今ですが、私も人並に、平凡ですが幸せな人生が送れて来たたような気がします。
寂しい、わびしいと言えば罰が当たりますが、これも人生の過程にある一時の感情として割り切ります。
そんな気持ちを絵にしてみると、
こんな感じです。
一言で人生を説明するのは、非常に難しいですがその時、その時のいろんな思い出がよみがえってきます。良いことも、そうで無い事もありましたが、これからは良い事だけを思い出すようにしようと思います。以前、禅について書きましたが今回は「輪廻」と言いますか・・・親から子、子から孫へ命を伝えて行く。そんな自然の中の生き物は平等に与えられた摂理、法則の上に立って生きている事に対し少し書こうと思います。この世は地球が出来て以来、命の自然淘汰を繰り返し、現在は人類が生物の頂点にあって地球を支配しています。
今の我が家の状態は、大きな転換期
ほんの一瞬の感情と捉えるべきですが、子供が大きくなって独立した時って親の気持ちは寂しく何とも言えない気持ちになります。でも、そこで親は子離れしなければいけないし、子供は親から自立しなければこれから先、生きて行けません。
親子は時としてお互いに執着したり、片方が執着する時がありますがそれはそれぞれにとってマイナスです。そこで人間は自然界の植物、動物の生きざまを見習うのです。
植物は感情はありませんが、動物はどうでしょう。感情があれば人と同様、寂しさ悲しさを味わうでしょう。でも人間とは違ってあっさり別離しますね。
それは次の繁殖のためにあるらしいのです。これは以前、テレビの自然ドキュメントで言っていた話です。人間にも本来子孫を残すという自然の本能はあるはずであり、従うべきですが文明社会の中にいる人間は経済的理由により次から次、子供を産むことはできません。
よって、一代で子供をもうける数が少ないが故に、愛情が強くなり過ぎるのかもしれません。過保護になりませんように
結局、私が言いたいのは、
人の生き方も動物、植物から学ぶべし。
死生観も同時に考えて
今回の記事は、自分の子供が自立独立していった後の寂しさを訴えたかったのかもしれません。