さらに、スリランカにとって日本は最大の資金援助国となっています。そのことをスリランカの人たちはよく知っていて、日本人に対してとても感謝しているのです。
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一番大きな島はセイロン島 |
日本軍はセイロンを占領する意図は最初からなく、ビルマのインパール作戦を容易にする事が本来の目的でした。(ビルマへの軍需品輸送) 結果的には、植民地にされているインド同様、セイロンにとっては日本の攻撃は願ってもないことでした。
セイロン島空襲作戦
コロンボ空襲
セイロン島の西側にある商港コロンボ
港湾施設と飛行場を攻撃しました。
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空襲下のドーセットシャーとコーンウォール |
トリンコマリー空襲
セイロン島の東側にある軍港トリンコマリー
飛行場と港湾を強襲し、迎撃機のほか飛行場の地上機、港湾施設を破壊しました。
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沈没するイギリス空母ハーミーズ |
ハーミーズとオーストラリアの駆逐艦ヴァンパイアは逃走を試みたが、間もなく日本艦爆隊に発見され撃沈されたほか、同じく退避中のタンカー2隻とコルベットホリホックも撃沈された。なお、ハーミーズは修理中のため搭載機は陸上基地に展開していました。
これ以降イギリスは、太平洋戦争末期に至るまで積極的な行動を抑えることを余儀なくされてしまいました。
この作戦には、港湾施設の破壊も行っていますが、これには通商破壊の狙いもあったのです。
ところで、セイロンティーって何かご存知ですか?「セイロン」というのは、スリランカの旧国の名前です。 つまり、スリランカ産のお茶を、セイロンティーといいます。
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茶のプランテーションが広がる内陸の山岳地 |
今や誰もが知る紅茶ブランド「リプトン」の産みの親、サー・トーマス・リプトンによって、スリランカの紅茶は世界に通じる高級ブランドへと成長していきました。
イギリス人のリプトンはセイロンが英国の植民地時代にセイロン島を訪れ多くの農園を買い取り、紅茶の栽培経営を開始しました。
そしてセイロンの茶市場で独占的な買い付けを行い、紅茶商としての名声が上回るようになったのです。
当然その時代、東インド会社もセイロンをインド同様、植民地支配していたのです。
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今や誰もが知る紅茶ブランド「リプトン」の産みの親、サー・トーマス・リプトンによって、スリランカの紅茶は世界に通じる高級ブランドへと成長していきました。
イギリス人のリプトンはセイロンが英国の植民地時代にセイロン島を訪れ多くの農園を買い取り、紅茶の栽培経営を開始しました。そしてセイロンの茶市場で独占的な買い付けを行い、紅茶商としての名声が上回るようになったのです。
当然その時代、東インド会社もセイロンをインド同様、植民地支配していたのです。
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セイロンは、1505年にポルトガル人がコロンボに商館を建設して以来、1948年までオランダ、イギリスと約450年近く白人に牛馬のごとく扱われて支配されてきました。
そのスリランカ、1948年、イギリスの植民地からセイロンとして独立したのです。そして1972年にスリランカと名前を変更しました。