台湾出兵とは
この事件に対して、清政府が「台湾人は化外の民で清政府の責任範囲でない事件(清政府が実効支配してない管轄地域外での事件)」としたことが責任回避であるとして、犯罪捜査などを名目に出兵したのです。
台湾出兵時の兵舎 |
54人殺害という大規模な殺戮事件であるため、警察ではなく軍を派遣しました。
日本軍が行った最初の海外派兵です。
台湾出兵時の日本人兵士 |
この結果、清は被害民への撫恤金(見舞金)を支払い、台湾の諸設備費等を出費しました。また、日本は生蕃に対し法を設ける事を要求しました。
上表の通り、戦死者より病死者の方が圧倒的に多かったのは熱帯特有の伝染病に掛かった兵士が多かったからです。
台湾の人は、どこかの国と違って日本ばかりを悪く言う二国とは違います。かつて、日本が台湾の人を日本人と同様に扱おうとした努力が今、評価されているのです。
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台湾出兵の真相解明を目指す。
日本軍が侵攻した北ルートを調査へ
台湾屏東県 2018/ 6/1 フォーカス台湾
5月31日に開かれた記者会見の様子 |
明治政府が1874年に台湾南部に軍を派遣した「台湾出兵」してから今年で144年になる。
伍慶隆代理郷長は、実際に行動することで歴史の真相を解明したいと意気込む。
日本軍は1874年5月、南部に攻め込み、6月には事件が起きた台湾原住民(先住民)パイワン族が住む牡丹社や高士仏(クスクス)社(いずれも現牡丹郷)、女乃社(現獅子郷)を制圧した。
牡丹社や高士仏社については多くの考察がされている一方で、谷干城が指揮する左翼隊が女乃社に侵攻した北ルートについての言及はあまりなく、実際の踏査や詳細な調査は行われていないと指摘した。
昨年末まで10回に分けて日本軍が女乃社などへの侵攻時に通った道を歩いた。
伍代理郷長は、より多くの証拠や記録を見つけようと、日本軍が進攻したのと同じ日の6月2~3日に研究のための踏査を実施することを決めた。
2日間をかけて全長約18~22キロを歩く。1年以内に全古道のルートの記録や戦場の照らし合わせ、旧集落の遺跡などの調査を進める計画だという。