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台湾出兵の真相・・・ 西郷従道



1874年(明治7年)10月、、台湾に漂着した宮古島島民54人が殺害される事件(牡丹江事件=宮古島島民遭難事件)が発生しました。


この事件に対して、清政府が「台湾人は化外の民で清政府の責任範囲でない事件(清政府が実効支配してない管轄地域外での事件)」としたことが責任回避であるとして、犯罪捜査などを名目に出兵したのです。

台湾出兵時の兵舎

54人殺害という大規模な殺戮事件であるため、警察ではなく軍を派遣しました。

龍驤台湾出兵の旗艦

台湾出兵に参加した孟春(砲艦)
鉄骨木皮の小型砲艦

日本軍が行った最初の海外派兵です。

台湾出兵時の日本人兵士

この結果、清は被害民への撫恤金(見舞金)を支払い、台湾の諸設備費等を出費しました。また、日本は生蕃に対し法を設ける事を要求しました。

時の指揮官は、西郷隆盛の弟、西郷従道だった。


上表の通り、戦死者より病死者の方が圧倒的に多かったのは熱帯特有の伝染病に掛かった兵士が多かったからです。


清国が化外の地と言うのも納得できるはず・・・


後の日清戦争で清から割譲したものの、統治初期はたくさんの日本兵および移住者、民間人、官僚たちも伝染病で多くの命を落としました。


そこで文民官僚、後藤新平(医師)が登場するのです。これについては別の機会にお話します。日本は台湾に対して、内地同様に扱い、税を投入したのです。(当時の台湾は日本領です。)

台湾の人は、どこかの国と違って日本ばかりを悪く言う二国とは違います。かつて、日本が台湾の人を日本人と同様に扱おうとした努力が今、評価されているのです。



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台湾出兵の真相解明を目指す。
日本軍が侵攻した北ルートを調査へ

台湾屏東県 2018/ 6/1 フォーカス台湾
5月31日に開かれた記者会見の様子

明治政府が1874年に台湾南部に軍を派遣した「台湾出兵」してから今年で144年になる。


屏東県獅子郷公所(役所)は5月31日、当時日本軍が現在の獅子郷にある先住民集落に侵攻する際に通った北回りルートの踏査に乗り出すと発表した。


伍慶隆代理郷長は、実際に行動することで歴史の真相を解明したいと意気込む。 


台湾出兵は、1871年に台湾南部に漂着した宮古島島民が先住民に殺害された事件(牡丹江事件)を発端とする。


日本軍は1874年5月、南部に攻め込み、6月には事件が起きた台湾原住民(先住民)パイワン族が住む牡丹社や高士仏(クスクス)社(いずれも現牡丹郷)、女乃社(現獅子郷)を制圧した。 


伍代理郷長は、台湾出兵に関する国内外の研究の重点は、総指揮者の西郷従道率いる本隊が通ったルートと赤松則良率いる右翼隊が通った南ルートに集中していると言及。


牡丹社や高士仏社については多くの考察がされている一方で、谷干城が指揮する左翼隊が女乃社に侵攻した北ルートについての言及はあまりなく、実際の踏査や詳細な調査は行われていないと指摘した。 


歴史の舞台の保存を推進する文化部(文化省)の事業で、屏東県からは牡丹社事件が対象に選ばれたことを受け、郷公所は昨年8月、女乃社などの末裔の青年や長老らと調査隊を結成した。


昨年末まで10回に分けて日本軍が女乃社などへの侵攻時に通った道を歩いた。 


伍代理郷長は、より多くの証拠や記録を見つけようと、日本軍が進攻したのと同じ日の6月2~3日に研究のための踏査を実施することを決めた。


2日間をかけて全長約18~22キロを歩く。1年以内に全古道のルートの記録や戦場の照らし合わせ、旧集落の遺跡などの調査を進める計画だという。





















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