私は、台湾が好きな戦後生まれの日本人。台湾が好きで親日的な台湾の歴史に興味を持っていろいろ調べています。
いろいろ調べて行くうち、台湾の元日本兵への補償がどうなっているのか気になってきました。
台湾人日本兵 |
高砂義勇隊 |
資料:wikipedia
1943年までは志願制をとっていたがこの倍率。
徴兵制ではない。台湾人の心境がわかる。
ネット上で私と同様に思っている、ある日本人の方(河野利彦さん)が少し前、その実態を調査した結果を紹介してくれていましたので、参考にさせて頂きました。
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出兵前の写真と思われます。 |
この河野氏による取材は、まったく個人的に始めたものである。週刊誌で元日本兵たちの起こした訴訟の記事を読んだのがそもそものきっかけだった。
政府は日本人の遺族や戦傷者には相応の補償をしているし、欧米の例をみると、米国はフィリピンに、英国はインドに、また敗戦国である西独やイタリアも旧植民地の軍人、軍属に対して、国籍に拘わらず、ほぼ自国と同等の補償を行っている。
なのに、大戦当時は日本人であった台湾の人びとには一切の補償もなく、うち捨てられてきた。その不平等に、強い憤りを感じずにはいられなかった。
結局、上述のように政府は1990年代当初、200万円という額(裁判で請求した金額の4割)を弔慰金としたのだが、同様の境遇にあった日本人の年金総額はその時点で1,600万円を超えていたはずだ。 (第一段階)
戦争で死んだ人の命がたったの、たったの弔慰金200万円、腕や脚を失った人への代償が200万円。なんと台湾人を侮辱しているのだろうか。
1995年には新たな動きがあった。 (第二段階)
台湾住民に対する戦争中の給料未払い分、軍事郵便貯金、郵便貯金、簡易保険、年金などの「確定債務」の支払いが始まったのである。
終戦とともに支払いが凍結されていたこれらのお金は、台湾人元日本兵たちや遺族にとって大きな問題だった。それが、1995年10月から2000年3月末の間に、一律額面の120倍という金額で払い戻されたのである。その額、およそ128億円。ほかに、生命保険会社15社が同じく120倍で約17億円を支払った。
郵便貯金の残高は、千円前後が多かったという。終戦前、千円もあれば台北で家が一軒建ったというが、120倍の計算ならわずか12万円にしかならない。納得のいかない台湾人も多く、上述の高聰義さんは台北での抗議デモの先頭に立って歩いたと聞く。だが、政府の決定は覆らず、確定債務の支払いはすでに終了した。
妻の全阿味さん |
1984年に他界した夫(全永福/竹中武男)から裁判を引き継いだ妻の全阿味さん(布農族)。
「夫は補償をもらったら新しい家でも建てよう、と言ってました。心残りで死んでいったようです」
日本政府の認識は、実に情けないレベルだ。