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バングラデシュ国旗 |
バングラデシュの国旗は日の丸とほぼ同じ柄で、「農業国だった日本が工業国に発展したように、バングラデシュも将来は工業国になるべきだ」という日本を目標とした所から初代首相が決めたそうです。何かすごく親日的ですね。大東亜戦争に対する歴史認識の影響もあるのでしょうか?
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日本から見た位置 |
インドからパキスタン独立
1945年、大東亜・太平洋戦争終結
1947年、イギリスが植民地インドから去ります。その際インドは宗教を基にインド(ヒンドゥー教)とパキスタン(イスラム教)に分けられます。 これにより、パキスタンは西パキスタン(現パキスタン)と東パキスタン(現バングラデシュ)の、インドを挟んだ飛び地となってしまいました。
1947年、イギリスが植民地インドから去ります。その際インドは宗教を基にインド(ヒンドゥー教)とパキスタン(イスラム教)に分けられます。 これにより、パキスタンは西パキスタン(現パキスタン)と東パキスタン(現バングラデシュ)の、インドを挟んだ飛び地となってしまいました。
1948年「世界人権宣言」が国際連合で総会決議される。
西パキスタンではウルドゥー語、東パキスタンではベンガル語が話されていました。
首都は西パキスタンにあり、パキスタン政府はウルドゥー語を唯一の公用語にしようとしたため、 東パキスタンの反発(ベンガル語運動)が起きました。
首都は西パキスタンにあり、パキスタン政府はウルドゥー語を唯一の公用語にしようとしたため、 東パキスタンの反発(ベンガル語運動)が起きました。
1966年、東パキスタンのシェイク・ムジブル・ラーマン率いる政党「アワミ連盟」が、 東パキスタン地域の自治権(国防・外交・通貨以外の完全自治)を主張しました。
脅威を感じた西パキスタン中央政府は、ムジブル・ラーマンを「インドと結託した反国家分子」として逮捕、 それをきっかけに東パキスタンでストライキが活発になりました。
脅威を感じた西パキスタン中央政府は、ムジブル・ラーマンを「インドと結託した反国家分子」として逮捕、 それをきっかけに東パキスタンでストライキが活発になりました。
1971年、ムジブル・ラーマンの激により盛り上がる独立運動と、それを鎮圧する西パキスタン中央政府・軍の間で独立戦争が始まります。
インドは東パキスタン独立を支持しました。 そして4月10日、ムジブル・ラーマンは「バングラデシュ人民共和国」として独立を宣言し、 初代首相、後に大統領となりました。
その直後、1971年5月には西パキスタンはバングラデシュを制圧、 また東パキスタン内の反独立派(西パキスタン支持派)による ベンガル人の大量虐殺が行われ、大勢がインドに難民となります。 それを機にインドが介入します。
インドは東パキスタンの独立運動に介入します。そして、東パキスタン内で西パキスタン軍と衝突します。
西パキスタン空軍はインドの領空を飛び、西パキスタン海軍は南から侵入攻撃します。これが1971年12月の第3次印パ戦争です。
しだいにインドが優勢になり、1971年12月16日に西パキスタンはバングラデシュ独立を認めることになり、 東パキスタンはバングラデシュとして独立します。
現在の情勢図