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ラオスの歴史






 










インドシナ半島:旧フランス領インドシナベトナムラオスカンボジア(濃い緑)

 











日本は最大の援助国


フランス領となった以後は、完全独立までベトナムと似た道を辿ります。そこには日本軍との関係が存在します。

 

 

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ラオスのはじまり

 











ラーンサーン王国の創設者ファ・グム

 


 ラオスの歴史は、中国南西部(現在の雲南省中心)にあったナンチャオ王国(南詔国)の支配領域が南下し、この地に定住者が現れた時代に始まります。





 王国滅亡後の1353年に、ラーオ族による統一王朝ラーンサーン王国がファー・グム王により建国され、その勢力は現在のタイ北東部やカンボジア北部にまで及びました。ラーンサーンとは「100万のゾウ」という意味です。昔、ゾウは戦争の際に戦車のように使われていたため(戦象)、この国名は国の強大さを示し近隣諸国を警戒させました。





 しかし、18世紀にはヴィエンチャン王国・ルアンパバーン王国チャンパーサック王国3国に分裂し、それぞれタイやカンボジアの影響下に置かれ、両国の争いに巻き込まれ戦乱が続きました。


 

 

フランス植民地支配










イギリスとフランスによる植民地化を現した図

 


 19世紀半ばにフランスがインドシナ半島に進出し始めた頃には、ラオスの3国はタイの支配下にありましたが、ラオスの王族はフランスの力を借りて隣国に対抗しようとし、1893年に仏泰戦争が起こります。




 



 その結果、ラオスはフランスの保護国となり仏領インドシナ連邦に編入されました。




 



 第二次世界大戦中は日本がヴィシー政権との協定によりラオス占領しました。その後、フランス領インドシナは日本軍の明号作戦によって解体され、ラオスは1945年4月8日に日本の協力のもとで、独立宣言をします。

 

この「明号作戦」は、同時にベトナムカンボジアラオスのフランスからの独立の第一歩でした。実は、明号作戦が開始される前、日本軍はベトナムカンボジアラオスの国王らにフランスからの独立を約束していたのです。

 

しかし大戦後(日本の敗戦後)、フランスは仏領インドシナ連邦を復活させようとしこれが原因で、1946年に第一次インドシナ戦争が勃発します。1949年、ラオスはフランス連合内のラオス王国として名目上独立しました。




 


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1954年3月から5月にかけて、フランス領インドシナ北西部のディエンビエンフーベトナム内)で起こった第一次インドシナ戦争中最大の戦闘が起こります。ベトナム人民軍フランス軍合わせて約1万人の戦死者を出しました。同戦争の大きな転機となり、フランスはベトナム撤退を余儀なくされました。













ディエンビエンフーで勝利し旗を振るベトナム



 

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独立と内戦


1953年10月22日、フランス・ラオス条約により完全独立を達成しました。



 

独立後、ラオスでは右派、中立派、左派(パテート・ラーオ)によるラオス内戦が長期にわたり続きました。

 

1973年、アメリカがベトナムから撤退、1974年三派連合によるラオス民族連合政府が成立しましたが、1975年南ベトナムサイゴンが陥落すると、12月連合政府が王政の廃止を宣言、ラオス人民民主共和国を樹立しました。



 



wikipediaより引用







ラオス情報文化観光省



 



治安





外務省






 







 


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