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No1 インドの独立・・・インパール作戦とチャンドラ・ボース

植民地からの脱却

それはインパール作戦から始まった。

それを指揮したのが、
インド国民軍最高司令官・独立運動
「 ④ 親日ミャンマー 」でも少し書きましたが、
ミャンマーにおける日本軍のインパール作戦では、イギリス支配下のインドの独立運動を支援することによってインド内部を混乱させ、イギリスをはじめとする連合国軍の後方戦略を撹乱する目的が含まれていました。

このインド国民軍マレー作戦でイギリス側にいたインド兵がインド独立を掲げ日本側に付いた軍です。チャンドラ・ボースの肝いりでした。






日本軍とともにインパールへ進撃するインド国民軍


チャンドラ・ボースは、戦中、日本での大東亜会議に参加しておりインド独立を主張していました。日本ではガンジーやネールは学校で教えられた記憶があるのですが、チャンドラ・ボースは私はどうも思い出せません。なぜでしょうか。インドではチャンドラ・ボースが独立の父として英雄視されています

日本での大東亜会議



そしてインパール作戦の前年、東条首相はチャンドラ・ボースに日本がインド独立のために支援することを約束しました。


しかし、作戦としては完全に失敗だったインパール作戦でした。



激しい抵抗を見せたインドの民衆

 敗戦後、日本軍と共同行動を取っていたインド国民軍将兵たちが国家反逆罪としてイギリスから厳しく処罰されそうになった時、これに対して激しい抵抗を見せたのがインドの民衆でした。

各地で彼らを救おうとするデモや暴動が相次ぎました。こうした抵抗はインドの警察の内部からのみならずイギリス軍のインド兵の中からも生み出され、イギリス軍の艦船のうち20隻ほどが反乱兵たちに占拠されるに至ったのです。


ここまでの激しい抵抗を受けて、ついにイギリスはインドの独立を認めるに至ったのです。

チャンドラ・ボース公園に立つインド独立義勇軍(INA)と日本軍人の像
左上の旗は日の丸です。








インド高速鉄道起工式に 安倍総理・・・2017年 平成29年9月14日

2017年 平成29年9月14日

インド高速鉄道起工式に 安倍総理が出席


インド訪問中の安倍晋三首相は14日、日本の新幹線方式を採用するインド西部の高速鉄道計画の起点となるアーメダバードでの起工式に、インドのモディ首相とともに出席しました。

安倍首相の精力的な外交営業には頭が下がります。国民の一人として拍手を送りたいと思います。

着工したのは、まずは高速鉄道のノウハウを学ぶ研修施設。日本で研修した現地職員が講師となり、運転シミュレーターを使った訓練や線路のメンテナンスの技術指導などを行う施設です。

高速鉄道は、アーメダバードと西部の商業都市ムンバイ間の約500キロを最速2時間7分で結ぶ計画で、総事業費は9800億ルピー(約1兆8000億円)。
インドは全7区間の建設を計画し、日本側は残る6区間の受注も目指しています。

インド高速鉄道構想の路線図



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インドの巨大な鉄道網は160年以上前にイギリスによって整備されました。1日に1万2000もの列車が世界一周に相当する距離を走り、利用者はオーストラリアの全人口とほぼ同じ2300万人に上ります。

イギリス時代の機関車

しかし混雑がひどく、インフラは旧式で老朽化が進んでいます。政府の統計によれば、全路線の60%以上で輸送能力を超えた交通量となっているということです。


大勢の通勤客で混み合うムンバイの駅

「過去50年間に輸送能力は大きく伸びましたが、それよりずっと急速に需要も伸びてきた」と、大学の工学部教授は言います。


さらに脱線事故も頻繁に起きており、先月だけでも6件発生し、今回の起工式の数時間前にもニューデリーの駅で事故があったばかりです。

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高速鉄道建設事業の骨子

JR東グループ中心に事業参画


日本の新幹線システムが採用されるインドのムンバイ~アーメダバード間(総延長505キロ)の高速鉄道建設事業が本格始動。円借款案件の同事業の実施に当たり、国際協力機構(JICA)は土木構造物や鉄道システムの設計、入札図書案の作成、現地の関係機関による入札手続きの支援などを行う詳細設計調査業務の契約予定者として、JR東日本グループの日本コンサルタンツを選定。同社以外の企業からの参加意思の確認を経て最終的な委託先を決め、年内にも業務に取り掛かる予定です。


昨年12月の日印首脳共同声明で新幹線方式の導入が決まったムンバイ~アーメダバード間の高速鉄道建設事業は、これまでに行われた日印共同の調査結果によると、営業最高時速320キロで走り、両都市間を2時間7分で結ぶ計画。


 総延長505キロのうち64%の322キロが盛り区間、28%の144キロが高架区間、6%の30キロがトンネル区間、2%の11キロが橋梁区間。駅数は12カ所。総事業費は約1・8兆円を見込む。2018年ごろの着工、2023年ごろの完成を目指しています。


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鉄道旅行事情

予約窓口は常に長蛇の列で、気温が40度を超すような中、汗まみれでひたすら並ばなければならないこともある。加えて電力不足やインフラ整備の遅れで停電も多く、並んでいて停電になったら、コンピュータが使えるようになるまで、じっと待つということもあるようです。
切符取得は半日仕事

インドの列車には外国人割当枠があり、デリーやバラナシ等の外人専用窓口に行けば優先的にチケットを発券してくれるのですが、それでも、時間はかかるもの。スムースに行っても半日仕事なのですね。だから、インドに行く前にできるだけオンラインでチケットを購入しておきたいものです。


プラットフォームは到着寸前まで分からないのがインドの鉄道事情。
バラナシ駅は大きく、プラットフォームが20近くあるのに、一度遅延するとどのプラットフォームに到着するのか分からないのだ。
到着時刻も早くなったり遅くなったりその都度変わる。


まず遅れないことを前提にスケジュールを組むと痛い目にあいますよ。
私は3週間ほど鉄道を乗りまくりました。
遅れなかったのはデリーからアムリトサル間の夜行だけでした。
遅れるのは当たり前。


気になるのがトイレ事情


下に穴が開いてて、覗き込むと外が見えます。小さな鉄のコップが見えますが、インド人は、をするときは、ここに水を入れて、手動ウォシュレットを開始するようです。
もちろん、紙はありませんのでティッシュをご持参願います。














日本はインドから新幹線を受注・・・そこには歴史的背景が


日本はインドから新幹線を受注
2015年12月12日の日印首脳会談で、インドの高速鉄道
日本の新幹線方式を採用することが決まりました。

今回、日本が受注するのは、インドに複数ある高速鉄道計画のうち、インド最大の都市ムンバイと工業都市アーメダバードを結ぶ、約500キロメートルのルート。最高速度は時速320キロメートルで、所要時間は現在の約8時間から2時間程度へ大幅に短縮されます。

安倍首相の精力的な外交営業には頭が下がります。国民の一人として拍手を送りたいと思います。

インドへの新幹線の売り込みは日本だけではありませんでした。安さで評判の中国とのせめぎ合いがありました。しかし、インドは中国と仲が悪いので新幹線の話には乗らなかったと想像されます。

なぜならインド北東部に飛び地の中国領土がありますがインドパキスタン戦争でドサクサに紛れて中国がインドに侵攻、制圧、チベットほどの侵略規模にはならなかったものの制圧領土は、大部分かえして中国軍は撤退しました。

がいまだにインドに返していない領土がその飛び地としてあるらしいのです。




一方、ヨーロッパの鉄道会社としてはフランスのシストラが手を挙げていましたが資金力と安全性の観点からがご破算になりました。

 それから話にはまったく出てこなかったのですが、みなさん想像つきますよね。インドは何百年の間、植民地として白人に支配され奴隷として扱われ美味しい汁ばかり吸われてきた国があるのです。それはイギリスです。

でもイギリスは鉄道を輸出できるほどの技術力はありません。逆に日本の日立から車両を買ってるくらいですから。「買って~」と言われても何百年の恨みがありますからあっち向いてほい!で終わりですね。

こういうことがあって結局、日本に軍配があがったのでした。まあ政治的背景だけではなく一番に日本の技術力とシステムの信頼性、それと何と言っても日本のビジネスと人間性の信頼が一番ではないでしょうか。


 ところでインドも大変な親日であることはご存知でしょうか。実は、大東亜戦争中(太平洋戦争ではありません。)、日本軍はインドの独立にも一役買っていたのです。











④ 親日ミャンマー・・・独立の翌年日本軍のインパール作戦はじまる


インパール作戦は、ミャンマー独立(1943年)の翌年1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことです。


補給線を軽視したずさんな作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用されています。


約10万の将兵が参加し、3万人が命を落とすという極めて高い死亡率を示したインパール作戦でした。日本軍の退却に使われた道には、行き倒れた兵士が連なっており、南方特有の気温と湿度が高い気候は、遺体を短時間で腐敗させ、白骨化させていきます。日本兵の骨で埋め尽くされた道は、無残にも「白骨街道」と言われるようになりました。




補給線を軽視したずさんな作戦と書きましたが、この作戦にはたいへん立派な「 牟田口廉也 中将 」がリーダーとして当たっていました。


指揮した牟田口廉也については悪評が多く、戦後も自己弁護を続けたと聞きます。詳しくは各自、文献やネットでお調べ願います。いくらでも湧いて出ます。私の口からはとても言えたもんじゃありません。



本当に兵隊さんは可哀そうでした。無念でしたでしょう。



ところで、

インパール作戦には、イギリス支配下のインド独立運動を支援することによってインド内部を混乱させ、イギリスをはじめとする連合国軍の後方戦略を撹乱する目的が含まれていました。インド国民軍6000人も作戦に投入されました。

このインド国民軍マレー作戦でイギリス側にいたインド兵がインド独立を掲げ日本側に付いた軍です。チャンドラ・ボースの肝いりでした。



チャンドラ・ボースは、戦中、日本での大東亜会議に参加しておりインド独立を主張していました。日本ではガンジーやネールが記憶に新しいですが、インドではチャンドラ・ボースが、だんとつ人気があります。










③ 親日ミャンマー・・・感謝されている日本

ミャンマーから日本への
勲章と感謝状

ビルマは1943年(昭和18年)にイギリスから独立しました。

南機関から「30人の同志(三十人の志士)」として過酷な軍事訓練を受けた一人のネウィン(Ne Win)は、 1962年(昭和37年)から1981年(昭和56年)まで第4代ビルマ連邦大統領となり、1966年(昭和41年)に鈴木元大佐(この時存命)らをビルマに招待しました。


ネ・ウィン元大統領

1981年(昭和56年)の独立記念日には、南機関の関係者6人にビルマ最高の栄誉「アウン・サンの旗」勲章を授与し、ビルマ独立の礎を築いたその偉業を称えました。

勲章が授与された時には、既に鈴木氏は他界していました。代わりに出席した鈴木夫人は、ある書状を携えていたといいます。




 それは、1942年(昭和17年)に鈴木大佐が任務を終えてビルマを去る際、アウン・サンら独立の志士から手渡された感謝状でした。そこには、このような感謝のメッセージがつづられています。



「父親が子供に教え諭すがごとく、その子供を守るがごとく、鈴木敬司大佐は真の愛情をもって、ビルマ独立義勇軍の兵士全員を教え、全員をかばい、全員のことに心を砕いてくれた。

ビルマ人は、その老若男女を問わず、このことを忘れることは決してない。われらは、ビルマ独立軍の父、ビルマ独立軍の庇護者、ビルマ独立軍の恩人を末永く懐かしむ。

将軍のビルマ国への貢献も、いつまでも感謝される。たとえ世界が亡ぶとも、われらの感謝の気持が亡ぶことはない」


終戦後、「南機関(1941年から1942年)」を率いた鈴木敬司大佐が見せしめのためにビルマに連行され、ラングーン刑務所に収監された時のこと。


 戦犯として裁判にかけられそうになったとき、アウン・サンは「ビルマ独立の恩人を裁判にかけるとは何事か」と猛抗議し、鈴木氏を釈放させることに成功したと言われています。











② 親日ミャンマー・・・教えられていない歴史


などと並び、ミャンマー親日的である理由の1つに、スーチーさんの父、アウン・サン将軍の存在が大きいのです。


当時、白人はアフリカや東南アジアを何百年もの間、植民地として支配していました。そこで日本は白人たちを追い出し東南アジアの国々を開放させようと大東亜(東アジア)共栄圏という構想を練っていました。これは第二次大戦中のお話です。


インパール作戦という言葉を聞いた事があると思いますが、それまでに至る事の発端がミャンマーと日本の関係の始まりとなるのです。

第二次大戦中の
アウン・サン将軍 と 鈴木大佐

鈴木敬司大佐という日本の特殊部隊の南機関の機関長から南京で接触し、近衛文麿首相からイギリスの植民地の解放からの資金提供を1941年2月に受け、アウンサン含むわずか30人からなる「30人の志士」と南京に渡り、日本軍の特殊訓練所で戦争の戦い方の訓練を受けました。


1942年に「ビルマ独立軍」という組織で、ミャンマーの地域を次々と日本軍の支援を受けながら制圧、1942年6月にヤンゴンも制圧しました。7月にはイギリス軍の追い出しに成功し1943年3月に、アウンサンが来日した時には、28歳の若きリーダーと大歓迎を受け、旭日章を受章しています。


しかし1943年から1945年にアウンサン将軍は、インパール作戦(1944年3月から7月)でのずさんな作戦、計画と失敗を目の当たりにし、日本の敗北が濃厚になってきたのに焦りを感じました。


そこでアウンサンはイギリスに1年以内のビルマの独立を約束させ結局、日本から離れたのでした。
アウンサンは日本を裏切ったと言う人もいますがミャンマーが独立するためには仕方がなかったと判断したのでしょう。


 でもアウンサンは日本への恩を忘れていませんでした。


その証拠に日本が敗戦し、元南機関長鈴木敬司が、戦後ビルマに連行されBC級戦犯として訴追されそうになった時、アウンサンは猛反対し、鈴木大佐は釈放されたのでした。


アウン・サン将軍は表舞台に出て10年もたたない間に仲間と会議中に暗殺され亡くなってしまいましたが、彼の日本に対しての憧れ、信頼は、今のミャンマーの人々の親日の考え方の根底をなしているのです。
 ところでアウン・サン将軍の娘、スーチーさんは昔、京都大学1985年10月1日から1986年3月31日までの間、東南アジア研究所の外国人研究員として来日していました。そして平成28年11月3日に名誉博士称号を授与されています。















① 日本ミャンマー友好協会・・・2018年1月に友好イベントを開催

日本ミャンマー友好協会

2018年1月に友好イベントを開催

http://jmfa-main.com/



映画上映と教育についてのシンポジウム

一般社団法人日本ミャンマー友好協会は、「ミャンマー友好イベント 映画とシンポジウム」を開催することを発表した。

日時は2018年1月19日金曜日、午後13時会場で、場所は築地本願寺ブディストホール。入場は無料

映画は、2012年ミャンマー国内アカデミー映画賞受賞作品である「小さな村の新任教師」が、13時35分と18時35分からの2回上映される。この作品は、1988年反政府活動で多くの若者が犠牲にとなった時代から現代。電気も水道もない小さな村で、家の手伝いなどで学校へ行けない子も多い学校の教師として赴任した教師の物語である。

シンポジウムでは、16時30分から、基調講演「ミャンマー教育改革の展望」、17時15分からパネルディスカッション「初等教育改革を成功させるためには?」が行われる予定となっている。



両国間の文化・経済・人材交流

日本ミャンマー友好協会は、日本とミャンマー両国間の活発な文化・経済・人材交流を推進することにより、両国間の友好と親善関係の確立に資することを目的として設立された。

事業として、日本およびミャンマーの文化・経済・教育に関する情報収集・分析・啓発・普及などの事業、ミャンマーからの留学生・研修生および技術者・専門家の斡旋と受け入れ、また、在日ミャンマー人に対する協力および交流などを行っている。

これまでの活動としては、1973年には初めてミャンマーに視察団を派遣し、ネウィン首相などを表敬訪問したことや、バガン地方の地震やサイクロン被害に対する義援金の寄贈、2013年には、ネピドーにある国会議事堂内で、日本とミャンマーの合作映画「血の絆」の上映と、晩餐会・交流会を行っている。



 ミャンマーに限らず、東南アジア全体に興味を持ってください。  親日国家が多い理由が分かります。また日本人の歴史的に見た客観的気質が分かってくると思いますよ。










No4 地球が泣いている・・・ゴアさんの『 不都合な真実 』

不都合な真実 』って?
不都合な真実』とは、2006年のアメリカ映画で、アル・ゴアアメリカ合衆国副大統領が主演していました。

第79回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞・アカデミー歌曲賞を受賞し、本作で環境問題啓発に貢献したとしてゴアノーベル平和賞を授与されています。


 内容は、過去の気象データや温暖化により変化した自然の光景を用い、環境問題を直視しない政府の姿勢を批判しており、自然環境を意識しつつ日常を生活する重要さを訴えています。







 ところが、限界地球が泣いているのに石炭火力発電所途上国に輸出を行っている国がある。それは日本です。



 安倍政権の心境を疑います。本当に。これが自民党負の遺産として歴史に残りますよ。



 さて、ゴアさんは2017年11月16日 NHKのインタビューに応じました。その中で話しています。

 日本は発展途上国の石炭火力発電に、世界で最も多くの資金拠出を、公的に行っている国です。その資金は税金です。私は日本の有権者が声をあげ、地球温暖化に手を貸すような行為をやめさせることを願っています。



G7の石炭火力発電への公的拠出金


 ところで、近年、陽光発電のコストは急速に下がり続けています。石炭による発電価格を下回る太陽光発電所が、世界中で次々と建設されているのです。


太陽電池の価格


 環境という価値に対して、投資が行われるようになれば、世界をより良い場所にすると同時に、利益も生むことができます。


 ゴアさんは、温暖化防止に貢献する企業だけに資金を提供する投資会社を経営しています。今後、発展が見込まれる再生エネルギー産業には投資価値があり、ビジネスと温暖化対策は両立すると考えています。


 この様に世界中の人や企業が小さくても前向きに取り組んで行けば、必ず世界は変化して行くと思います。


 因みに、私事ですがその取り組みの例を挙げさせていただきます。

① 自家用車を中古のハイブリドカーにしました。6年過ぎましたが、ガソリンは年に2回ほどしか入れません。 燃費がものすごくいいんです。びっくりしてます。


② 家庭内の乾電池はすべて充電式の電池に変えました。これも5年は過ぎています。:うちは原発の電気ですが火力よりましかな。



資源ごみの削減
( 従来の使い捨て電池は捨てるのに大変不便です。電気屋さんでは受け取ってもらえません。役所の乾電池専用の捨て箱まで持って行かなくてはなりません。

スーパーでは使い捨て乾電池を大量安売りしていますが売れるんでしょうね。いけませんね。現政権が企業の肩を持ってるのが見え見えですね。そして個人は家庭のゴミ箱に捨てるのです。)


以上です。



ところで水電池ってご存知ですか?
 私は今、災害時に使える水電池を実験しています。寝ながらラジオに使っているのですが十分使えます。行政も常備し始めています。家庭用はホームセンターで売っています。充電式より安いですよ
 充電式は長期停電時に使えませんから持っていても意味がありませんね。
       水電池、参考まで・・・












No3 地球が泣いている・・・日本がまた『 化石賞 』

COP23は2017年11月に開幕されました。
そして、日本がまた900を超える環境NGOをまとめる気候行動ネットワークCANから『 化石賞 』を頂きました。


まことに、嘆かわしく不名誉なことです。( 一 一)

化石賞」とは、CANが、地球温暖化対策に対する姿勢が積極的でない国などに対して非難と皮肉を込めて授与される賞。



日本、1位(共同でのダブル受賞)・2位(単独)を受賞 温暖化対策に後ろ向き 2017-11-10

各国環境団体は日本に対し、石炭発電巡り批判 2017-11-10

 さらに日本の上をゆく賞は
に「特別化石賞」 温暖化対策に後ろ向き「最悪」 COP23 2017-11-17

に「特別化石賞」贈呈 COP23が痛烈批判 2017-11-17


 安倍さん!「トランプに便乗」は間違いですよ。脱化石燃料の流れは止まらないのですよ。


『化石賞』の受賞。これは、世界のNGOが、温暖化交渉を妨げる国に批判を込めて贈る賞です。日本の受賞理由は、レイジーな数の石炭火力発電を途上国に輸出しているというものでした」。


 日本が輸出したい高効率型の石炭火力発電は、天然ガス火力発電に比べて、約2倍のCO2を排出してしまいます。 世界のエネルギー関連の投資では、石炭火力発電からの投資の引き上げや、今後、投資をしないとするなどの投資の流れが大きく変わってきています。


 具体的な例で言えば、米国の石油産業を支えたロックフェラー財団ですら、石炭をはじめとする化石燃料からの撤退を宣言しました。米国最大手の石炭企業ピーボディ・エナジー社も昨年、倒産しました。



 安倍政権の石炭火力発電への異常な情熱は、国内政策にも際立っていますが、そこにも海外からの厳しい視線が向けられています。


 安倍政権は、「高効率型」石炭火力発電所の輸出をその成長戦略の柱の一つとして推進しており、インドやフィリピン、ベトナムインドネシア、トルコなどで石炭火力発電に関する経済協力を実施しています。


 ですが世界の温暖化対策の最優先課題は、大量のCO2を排出する石炭火力発電をやめること。それしか方法が無いのは明白な事実なのですが・・・


 ところでアメリカでは、すごい勢いで太陽光発電が普及しています。


 それは、発電コストが大幅に下がったからで経済性で太陽光が、石炭などの化石燃料より優位になりつつあるからです。「この流れは、トランプ大統領の政権下でも大きくは変わらないだろう。」と言われています。


 長年「高コスト」と言われ続けてきた太陽光発電ですが、技術革新や普及拡大に伴い世界的に発電コストが低下しています。アメリカでも石炭火力発電所の発電コストの1キロワット/時間あたり6~15セントであるのに対し、太陽光発電は最安で4セントを切る状況にまでなっています。


 ゴア氏も言っています。「日本は石炭火力支援をやめるべきだ」


 これからは『低炭素社会』ではなく『脱炭素社会』に世界は向かっていく事は間違いないと分かっているのに、世界の潮流から背を向けている日本は、乗り遅れることは間違いないでしょう・・・




















No2 地球が泣いている・・・異 変


クリックで動画が出ます。
環境省DVD】気候変動への挑戦 ダイジェスト

 気候変動の科学をわかりやすく紹介された、2015年末の気候変動枠組条約COP21におけるパリ協定の採択など、国内外の最新の動向を踏まえ、今後世界がどのように温暖化対策を行っていくのか、そして私たちに何ができるのか等をまとめたものです。



異変の例

 1988年に設立されたIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)によれば世界規模の海面上昇の原因は地球温暖化で『氷が溶ける』からではなく、『海水の膨張』によるものとしています。


アルゼンチンのロス・グラシアレス国立公園。氷河の減少は水不足につながります。







 山岳地域では、氷河が溶けることによって氷河湖ができ、それが決壊することで、大規模な洪水が起こりやすくなります。また、これらの山岳地帯は、世界の大河川の源流にあたるため、氷がなくなると、その河川の流域全体で水不足が起きます。




 乾燥した地域に住む人々や、氷河や雪に生活用水を頼っている人々は、その被害を受けやすくなります。氷河や雪解け水から生活するための水を得ている人は、世界の人口の6分の1を占める。




モンスーンよるタイで起こった洪水(2011年)

 死者815人を出しました。

 ホンダが入っているアユタヤ県ロジャーナ工業団地は水が押し寄せ、当局により退避命令が出る始末。

 トヨタもタイに3工場を持ち年産65万台も生産しています。地元調達の部品供給がなく、生産を一時ストップしました。
 退避命令が出ているアユタヤ県ロジャーナ工業団地には、ホンダのほか、ニコン日本電産日東電工など多くの日本企業が進出していますが、日本企業も大きな被害を受けたことは記憶に新しいところです。





 ここは、南太平洋の島国ツバル。海面上昇による深刻な脅威を受けています。






 浸食が進む海岸(コロンビア、サン・アンドレアス島)






 海水温の上昇で白化し、枯死したサンゴ群落(グレートバリアリーフ



 生育に適した気温や降水量のある地域に育つ植物は、気温や降水量が変化すると、生育地域を変えざるを得なくなります。中には、気候の変化に適応でき ず、絶滅する植物も出てくるかもしれません。また、それに伴い、植物に依存して生きる動物も、生息域を変えなくてはならなくなり、変化に対応できない種が 減少・絶滅する可能性があります。



 乾燥化が進む地域では森林火災が増え、野生生物の生息地が広く失われるおそれがあります。



 いかがでしたか?すぐにでもCO2(二酸化炭素)の削減や再生可能エネルギーの導入をしなければ地球はもう終わりと
言われています・・・


 
 






No1 地球が泣いている・・・COP23_2017

COP23_2017



気候変動枠組み条約締約国会議 

目標:産業革命前の気温から「2°未満」に抑えること



 ドイツのボンで第23回気候変動枠組み条約締約国会議(COP23)の会合が15日に開幕しました。2016年に発効した地球温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定」の運用ルールづくりを加速するために集まっています。



パリ協定では協力した先進国と途上国だが、資金援助や技術支援などを巡って対立が再燃しており、着地点を見いだせるかが今回の焦点です。



 さらに今回はアメリカ(トランプ政権)が離脱しており将来に不安が残ります。過去にも 2001年にブッシュ米政権が京都議定書から離脱しています。世界から猛烈な批判を受けています。アメリカ第一主義もいい加減にして欲しい。地球の将来が掛かっているのですよ!



温暖化に関心を持とう

 温暖化が進むと、気温が上昇するだけでなく地球全体の気候が大きく変化します。既に世界各地では、そのさまざまな影響が現れ始めており、自然環境や人の暮らしにも重大な問題を引き起こしています。こうした問題は、温暖化への対策を十分に行なわない場合、さらに深刻化し、地球規模の深刻な被害をもたらす危険性が指摘されています。



国連が発表・・・地球温暖化による海面上昇は「加速」している

1988年に設立されたIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)によれば世界規模の海面上昇の原因は地球温暖化で『氷が溶ける』からではなく、『海水の膨張』によるものとしています。



そして、これらのリスクは、温度の上昇の度合いによって、

A:暑熱や洪水など異常気象による被害が増加
B: サンゴ礁や北極の海氷などのシステムに高いリスク
マラリアなど熱帯の感染症の拡大
C:作物の生産高が地域的に減少する
D:利用可能な水が減少する
E: 広い範囲で生物多様性の損失が起きる
F: 大規模に氷床に消失しこのままの気温上昇が続くならば
G: 多くの種の絶滅リスク、世界の食糧生産が危険にさらされるリスク などを引き起こす可能性があると指摘されています。



IPCC国連気候変動に関する政府間パネルの警鐘(Intergovernmental Panel on Climate Change)

 このままの気温上昇が続くならば、温暖化は国の安全保障問題にまで発展する。



 たとえば、21世紀中の地球温暖化は、極端な異常気象や海面上昇などの長期的な影響の両方によって、大規模な人々の移住をよぎなくさせると予測している。



 これは、特に温暖化の影響に弱い途上国において、強く懸念されている問題である。



 こうした、すでに貧困や飢餓に苦しむ地域に、さらに温暖化の被害が加わることは、内戦や武装勢力などの間で生じる暴力的な紛争のリスクを増加させる可能性がある。



 このように、温暖化が多くの国の重要なインフラや領土に及ぼす影響は、国家安全保障問題に発展するおそれがあると警告しているのです。





つづく












整いましたビール瓶? これで日馬富士は m(_ _)m


日馬富士・・引退するとしたらその後は?

ビール瓶が利きすぎたか~


 以前から何かと引退勧告がつきまとっていましたが、結局どうなのでしょうね?


 日馬富士関といえばどちらかというと小柄ですが技掛けがうまく、横綱に至るまではかなり順調に昇進して きました。 


 2009年に大関に昇進するまでの四股名は今とは違って安馬(あま)といい、大関になっ てから今の日馬富士という四股名になったそうです。 


 日馬富士の体格は身長185cm体重135kgです。この体格は相撲取りの中では平均よりも 少し小さいくらいなんですが、 大関時代は角番になったこともあり、在位はざっと22場所。 これは歴代4位らしく、かなり長い間大関として苦労した時代が続いたということでもあります。 

プロフィール


 しかし研究熱心で自分の相撲のスタイルを確立していった日馬富士はとてつ もない強さになりました。 大きな力士にも負けず真っ向からぶちかましを決めて立ち向かっていく姿はやはり見ていて気持ちが良いものです。 


 これぞ横綱と言っても過言ではないと思いますし、だからこそファンも多いので しょう。 


 でも何かとつきまとうのが引退の2文字です。 確かに、なんでこの相手に負けてしまうの?と思うときもありますが・・・日馬富士関 の引退の噂について少し触れてみたいと思います。 


 2017年1月、大相撲初場所日馬富士は黒星先行となり横綱審議委員会の守屋委員長から「引退勧告」を申し受けたそうです。


 「もう引退かな。そう長くはない。そんな横綱が連敗した。序盤なのに。」 日馬富士にしたらプレシャーが掛かります。確かに横綱といえば相撲において最高位です。それが序盤に平幕に金星を譲ってし まったということは見ているほうも「あ~あダメだ~」という気持ちになりますね。


 個人的な日馬富士関の印象ですが「勝ってあたりまえの所で星を落としてしまう」というのは確かにあります。


 そして、今回のビール瓶事案。警察の取り調べ中でもあり横綱審議委員会のお達しはその後となるでしょう。しばらく時間が必要と思われますが、日馬富士自身はもう決めているかもしれませんね。


結果は、もうしばらく待って見ましょう。


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 さてその間、そんな日馬富士関の背景をちょっと調べて見ました。


 日馬富士が法政大学に合格していたりモンゴルの 警察官の資格を通信教育で取得していたことなどは有名なエピソードです。 趣味の油絵は個展を開くほどの腕前だったり・・・何かと色々芸達者な所があるのもまた日馬富士関の魅力だと思います。
 そんな色々勉強している姿勢が「もしかして引退後のことを考えて勉強に励んでいるの か?」という噂にも繋がっているのかもしれませんね。


 さて、相撲取りが引退するとまず思いつくのが「親方」になるということです。 しかしここで問題が一つあります。 親方になる条件として「日本人である」という条件があるんですね。 つまり、現在の国籍がモンゴルである日馬富士帰化して日本国籍を取得しないと親方にはなれません。 もちろんどういう選択をするかは日馬富士次第ですが、色々資格を取得していることから個人的には、引退後帰国して政治家にでもなるのではないかと思います・・・ いずれ引退する時が来ると思いますが、その時に日馬富士がどんな選択 をするのか楽しみにしていたいと思います。 


 最後にちょっと私的には後ろめたい事なんですが、お嫁さんや子供についても調べてみました。 



 日馬富士は2010年にご結婚されており、嫁さんの名前はムンフジャラガル・バトトールさ ん。 そのお名前から予想がつくと思いますが同じモンゴル出身の女性で、ご結婚された当時 はまだ女子大生だったんだとか。



 非常に綺麗な方ですね。今現在はまだ20代後半になるんでしょうか? お2人がどのように出会ったのかまではわかりませんが、どうやら結婚したのは 「子供が出来たから」みたいですね。


 ではそんな日馬富士の子供ってどんな子なんでしょうか?なんと日馬富士関には3人のお子さんがいるそうです。
長女・ニャムジャラガルちゃん 
次女・ヒシゲジャルガルちゃん 2012年5月生
長男・バトエルデネくん  2014年6月


 長女のニャムジャラガルちゃんは結婚した時に出来ていたので2011年生まれと思われます。
 そして最後に念願の男の子が誕生したという感じで嬉しかったでしょうね。

 愛する家族がいて今、日馬富士もたいへん幸せそうです。



 でもこんな時に・・・ビール瓶が災いしています・・・


ファンとしては心配です。


























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