補給線を軽視したずさんな作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用されています。
約10万の将兵が参加し、3万人が命を落とすという極めて高い死亡率を示したインパール作戦でした。日本軍の退却に使われた道には、行き倒れた兵士が連なっており、南方特有の気温と湿度が高い気候は、遺体を短時間で腐敗させ、白骨化させていきます。日本兵の骨で埋め尽くされた道は、無残にも「白骨街道」と言われるようになりました。
補給線を軽視したずさんな作戦と書きましたが、この作戦にはたいへん立派な「 牟田口廉也 中将 」がリーダーとして当たっていました。
指揮した牟田口廉也については悪評が多く、戦後も自己弁護を続けたと聞きます。詳しくは各自、文献やネットでお調べ願います。いくらでも湧いて出ます。私の口からはとても言えたもんじゃありません。
本当に兵隊さんは可哀そうでした。無念でしたでしょう。
ところで、
インパール作戦には、イギリス支配下のインド独立運動を支援することによってインド内部を混乱させ、イギリスをはじめとする連合国軍の後方戦略を撹乱する目的が含まれていました。インド国民軍6000人も作戦に投入されました。
このインド国民軍はマレー作戦でイギリス側にいたインド兵がインド独立を掲げ日本側に付いた軍です。チャンドラ・ボースの肝いりでした。