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No1 インドの独立・・・インパール作戦とチャンドラ・ボース

植民地からの脱却

それはインパール作戦から始まった。

それを指揮したのが、
インド国民軍最高司令官・独立運動
「 ④ 親日ミャンマー 」でも少し書きましたが、
ミャンマーにおける日本軍のインパール作戦では、イギリス支配下のインドの独立運動を支援することによってインド内部を混乱させ、イギリスをはじめとする連合国軍の後方戦略を撹乱する目的が含まれていました。

このインド国民軍マレー作戦でイギリス側にいたインド兵がインド独立を掲げ日本側に付いた軍です。チャンドラ・ボースの肝いりでした。






日本軍とともにインパールへ進撃するインド国民軍


チャンドラ・ボースは、戦中、日本での大東亜会議に参加しておりインド独立を主張していました。日本ではガンジーやネールは学校で教えられた記憶があるのですが、チャンドラ・ボースは私はどうも思い出せません。なぜでしょうか。インドではチャンドラ・ボースが独立の父として英雄視されています

日本での大東亜会議



そしてインパール作戦の前年、東条首相はチャンドラ・ボースに日本がインド独立のために支援することを約束しました。


しかし、作戦としては完全に失敗だったインパール作戦でした。



激しい抵抗を見せたインドの民衆

 敗戦後、日本軍と共同行動を取っていたインド国民軍将兵たちが国家反逆罪としてイギリスから厳しく処罰されそうになった時、これに対して激しい抵抗を見せたのがインドの民衆でした。

各地で彼らを救おうとするデモや暴動が相次ぎました。こうした抵抗はインドの警察の内部からのみならずイギリス軍のインド兵の中からも生み出され、イギリス軍の艦船のうち20隻ほどが反乱兵たちに占拠されるに至ったのです。


ここまでの激しい抵抗を受けて、ついにイギリスはインドの独立を認めるに至ったのです。

チャンドラ・ボース公園に立つインド独立義勇軍(INA)と日本軍人の像
左上の旗は日の丸です。








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