人生はドラマチック
一瞬の花火がその人の人生を左右する。花火が多いほど人生はドラマチックになる。結果の良し悪しは別として・・
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③ 親日ミャンマー・・・感謝されている日本
ミャンマー
から日本への
勲章と感謝状
ビルマ
は1943年
(
昭和18年
)にイギリスから
独立しました。
南機関から「30人の同志(三十人の志士)」として過酷な軍事訓練を受けた一人のネウィン(Ne Win)は、 1962年
(昭和37年)
から1981年
(昭和56年)
まで第4代
ビルマ連邦
大統領となり、1966年(昭和41年)に鈴木元大佐(この時存命)らを
ビルマ
に招待しました。
ネ・ウィン元大統領
1981年(昭和56年)の
独立記念日
には、南機関の関係者6人に
ビルマ
最高の栄誉「アウン・サンの旗」勲章を授与し、
ビルマ
独立の礎を築いたその偉業を称えました。
勲章が授与された時には、既に鈴木氏は他界していました。代わりに出席した鈴木夫人は、ある書状を携えていたといいます。
それは、1942年(
昭和17年
)に鈴木大佐が任務を終えて
ビルマ
を去る際、アウン・サンら独立の志士から手渡された感謝状でした。そこには、このような感謝のメッセージがつづられています。
「父親が子供に教え諭すがごとく、その子供を守るがごとく、鈴木敬司大佐は真の愛情をもって、
ビルマ
独立
義勇軍
の兵士全員を教え、全員をかばい、全員のことに心を砕いてくれた。
ビルマ
人は、その老若男女を問わず、このことを忘れることは決してない。われらは、
ビルマ
独立軍の父、
ビルマ
独立軍の庇護者、
ビルマ
独立軍の恩人を末永く懐かしむ。
将軍の
ビルマ国
への貢献も、いつまでも感謝される。たとえ世界が亡ぶとも、われらの感謝の気持が亡ぶことはない」
終戦
後、「南機関(1941年から1942年)」を率いた鈴木敬司大佐が見せしめのために
ビルマ
に連行され、ラングーン刑務所に収監された時のこと。
戦犯として裁判にかけられそうになったとき、アウン・サンは「
ビルマ
独立の恩人を裁判にかけるとは何事か」と猛抗議し、鈴木氏を釈放させることに成功したと言われています。
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